いま、もっとも人気を集めるレスラーのひとり、飯伏幸太は2012年10月からDDTと新日本プロレスのダブル契約選手となった。プロスポーツ界全体を見渡しても珍しい2団体同時契約はなぜ、可能となったのか。プロレスラーの生活はどのように成り立っているのか、団体経営の要は何か。ブームの兆しを見せているプロレス界の台風の目、DDTの高木三四郎社長に聞いた。
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――飯伏幸太選手の2団体同時契約は、かなり特殊な形ですね。
高木三四郎(以下、高木):たぶん、DDTじゃなかったらOKしなかったと思うんですよ。プロレス界にはコミッションがないので引き抜きや移籍が自由に行われてきましたが、飯伏については企業としての手順が踏まれて、まず新日本さんからDDTに移籍を打診されました。そのときは、本人の希望でお断りしています。
しばらくして、どうにかして飯伏が新日本プロレスに所属できる方法はないかと「2団体所属」という形を提案されました。そのとき、これは面白いことになるなと思っちゃったんですね(笑)。調べてみましたがおそらく、サッカーや野球を見渡しても二団体に同時契約という事例は世界で初めてのことですよ。選手のキャリアにもプラスになるし、今までは実現が難しかった試合もやりやすくなるので、プロレス界も活性化されて良い話です。
――プロレスラーの契約というのは、通常はどのような形なのでしょうか?
高木:レスラーとDDTという会社との契約は人によって様々です。試合ごとの契約もあれば団体所属、社員の場合もあります。だから、支払いも一試合ごとのギャランティ計算、月給などバラバラです。新日本プロレスのような大手団体だと年俸の12ヶ月割や月給制がほとんどだと聞いていますが、DDTは月に1回しか試合がない時代があったので、その名残で複数の支払い形態があります。
――すべてのプロレスラーがプロレスだけで生活できているのでしょうか?
高木:年に一度『週刊プロレス』がプロレス名鑑を発行していますが、2013年はそこに485人のレスラーが掲載されていました。そのうちプロレスだけで生活できている人は、おそらく100~150人くらい。でも、いま日本にプロレスラーは1000人近くいると思います。ご当地プロレス団体が全国にいくつもあって、その人たちは名鑑に載っていないんです。
――戦国時代と呼ばれているアイドルと同じような状況ですね。興行数がどのくらいだと、安定的なプロレス団体として存続可能なのでしょうか?
高木:いまDDT単体では月に1回の後楽園ホール大会に、400~500人規模の会場での地方大会をいくつか、そして年に1回、両国国技館や日本武道館といった大会場での大会を開催して合計すると80興行くらいです。経営する傘下団体もあわせると、一年で100興行を超えます。興行規模にもよりますが、100興行を下回ると会社存続が厳しいです。