NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が本日開始する。今回のテーマは豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛。自ら「官兵衛好き」だという元NHKアナウンサー松平定知氏が、官兵衛とはどんな人物だったかを解説する。
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官兵衛の人生を振り返ってみましょう。黒田家の出自は近江の国で、官兵衛の曾祖父の代に軍規違反で追放され、その後播州・備前に流れ着いたとされています。黒田家では先祖代々、メグスリノキという木から作る目薬の製法が受け継がれてきましたが、祖父が播州の広峯神社の護符と一緒に目薬を売ったことで、莫大な利益をあげました。その金を、備前の小寺家へ寄進して召し抱えられました。
やがて父は小寺家の御着城の城代家老で出城・姫路城の城主になります。官兵衛はその嫡男として生を受けます。父に代わって城主になったのが22、23の時。「これからは信長の時代」と時流を読み、小寺家を説得して信長の傘下に入らせ、幾多の戦果も挙げました。しかし、荒木村重が謀反を起こしたため、官兵衛は単身その説得に向かいますが逆に捕まり、村重の城(有岡城)に幽閉されてしまいます。1年後に救出されたときには、髪は抜け落ち、足は萎えていました。
しかし、この事件で秀吉との絆は強まりました。官兵衛は以後、(高松城の水攻めから明智光秀を討つべく山崎に戻った)中国大返しをはじめ存分に力を発揮。ついに秀吉に天下を取らせたのでした。