銀行や役所などで記入する書類の見本や、定期券を作るために書く申込書の記入例、病院の問診例──そこに書かれる名前の例は、ほとんどが「山田太郎」である。でも、なぜ「山田太郎」なのか、その理由を考えたことがあるだろうか? 名字研究の第一人者、森岡浩氏が語る。
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まず、名前のほうはわかりやすいですね。江戸時代以前から、最初に生まれた男の子は「太郎」で、次は「次郎」とする慣習があり、明治以降も続いています。長男と次男では、当然長男のほうが多いため、男の子の名前の代表が「太郎」になるのは自然だといえます。
では名字はどうか。日本で一番多い名字が「佐藤」ですし、次点は「鈴木」です。実は、「山田」はトップテンにも入っていません。
では、どうして? この謎が、あなたを名字の奥深い世界へと誘うきっかけとなります。
「山田太郎」の謎を解く鍵は“見本の果たす役割”にあります。見本は誰が見ても“普通だな”と思われることが重要です。
たとえば、見本を「佐藤太郎」にするとある不都合が生じます。西日本出身の人にとって、その名前はあまり“普通”と感じられないのです。
日本で一番多い「佐藤」や2番目の「鈴木」は、東日本には多いが、西日本ではトップテン圏外の府県も少なくありません。地域によっては、むしろ「珍しい名字」でもあるのです。つまり東日本では普通だと感じても、西日本では普通ではない。逆に全国で4番目の「田中」は西日本に多く、東日本では少ない。このように名字の分布には地域的な偏りがあります。
その意味で、「山田」は完璧です。名字ランク上位では、「中村」「山田」「山口」「池田」が地域的な偏りのない名字に該当します。しかも名字に使われる漢字のトップ5は「田」「野」「川」「山」「谷」。この両方の要素を兼ね備えているのが、「山田」となります。つまり、全国でもっとも親しみを感じる人が多い名字が「山田」であり、これに男の子の代表的な名前の「太郎」を組み合わせた「山田太郎」は、最も“普通っぽい名前”ということになるのです。
証拠といっては何ですが、野球漫画『ドカベン』の主人公を「山田太郎」とした理由について、作者の水島新司氏は、「平凡なイメージが欲しかった」と雑誌のインタビューで答えています。
全国規模の名字ランキングが初めて作られたのは、昭和40年代でした。しかし、おそらく「山田太郎」の見本はそれよりも早く使われていたはず。全国的な見本の名字に「山田」を使ったことは完璧な選択だったといえます。
※週刊ポスト2014年1月17日号