昨年、ラジオパーソナリティー生活40年を迎えた吉田照美(62才)が、対人恐怖症の少年時代から、話し下手の新人アナウンサー時代、伝説の深夜番組のDJに大抜擢されてから担当した番組ごとの思い出を振り返った自伝的エッセイ『ラジオマン 1974~2013 僕のラジオデイズ』(ぴあ/1680円)を出版した。
ADを担当した小山薫堂、尊敬する久米宏、ビートたけし…ラジオ界を彩る人々との出会い、東日本大震災を機に考え始めたこと。“ラジオマン”としてできることは? 真実を伝えることこそが使命という吉田による一冊。
吉田は1974年に文化放送に入社し、1985年にフリーになるまで、『セイ!ヤング』『吉田照美のやる気MANMAN!』など数々の夜の娯楽番組を担当。50才を転機に苦手意識のあった報道番組に初挑戦した。朝の番組『吉田照美 ソコダイジナトコ』は「今後のアナウンサーとしての方向性を決定づけてくれた、最も意義深い番組」と振り返る。
それまでは、娯楽番組を通じ、自身とリスナーがいかに楽しめるかにこだわってきたが、報道番組を通じて、気持ちに変化が生まれた。そこへ未曾有の大震災をも体験し、“今までは自分のために生きてきたが、しゃべる場にいるからには、何か人のためになることがしたい”と思い始める。
「それまでテレビや新聞の情報は正しいと鵜呑みにしていたのですが、3.11をきっかけに、国内の報道からはフィルターを通した情報しか流れてこないことがわかり、ショックでした。ひとつの情報源だけを信じちゃいけないという思いが、そこから強くなりましたね」
以来、ツイッターなどから、フリージャーナリストが現場で発信する情報や被災者のリアルな声を拾い、新聞、テレビ、ラジオとを総合して状況を探り、自分なりに思ったことをラジオでしゃべる日々を続けている。
「もちろんぼくが間違ったことを言ってしまった場合は、訂正しなくてはいけないという気持ちでマイクに向かっていますが、しゃべる場が与えられている以上は、世の中の問題に対して、おかしいと思うことはおかしいと、等身大で言い続けていきたい思いがあります。問題を先送りしてはいけないと、若い頃は全く思わなかったことをこの年になって思うようになってきました」
※女性セブン2014年1月23日号