北朝鮮の金正恩体制に重大な異変が起きた。金正恩・第一書記の叔父で事実上のナンバー2であった張成沢(チャン・ソンテク)氏が突然失脚し、処刑された。昨年11月に訪朝して失脚直前の張氏と会談したのがアントニオ猪木・参院議員だ。会談で何が話されたのか。そこで語られた最後の言葉をインテリジェンス分析のプロである元外務省主任分析官・佐藤優氏が読み解き、北朝鮮とどう向き合うべきかを探る。
──張成沢氏の銃殺刑をどう見るか。
猪木:張成沢さんとはパーティの席で3回ほど顔を合わせ、昨年7月に訪朝した時は1時間くらい会談しました。11月に会った時にも、2人で30分ほど話をしています。報道を見て驚きました。
佐藤:除名から刑の執行まで4日しかかかりませんでした。処刑がかなり前から決まっていたと考えるべきでしょう。猪木先生との会談も、“スケジュール”に入っていたと考えます。
これは旧ソ連での「ブハーリン裁判」と同じです。スターリンは権力基盤を固めて長期政権を築くために、レーニンに重用された理論家のブハーリンを公開裁判にかけて銃殺刑に処した。処刑の事実を北朝鮮が公にする例はあまりないが、金正恩はスターリンの方法を研究して情報を出しながら粛清したのではないか。
猪木先生が張氏と会談した最後の日本の要人ということになりました。
猪木:私の訪朝を手配してくれたのは金永日(キム・ヨンイル)さん(朝鮮労働党書記、国際部長)です。まず彼との1時間ほどの会談があって後日、張成沢さんと話しました。内容はすべてビデオで撮影してあります。
佐藤:具体的にはどのような話を?
猪木:スポーツ交流の話をしましたが、政治的な話も突っ込んでしています。一つはとにかく腹を割って話す機会を作るために日本から議員団を派遣したいと言いました。向こうは受け入れると言ってくれた。
佐藤:記録が残る状況下で、はっきりと意思表示をした。
猪木:そうです。またこれは初めて公にする話ですが、彼は「議員団に限らず、すべて受け入れる」と言いました。日本の外務省の人間でも誰でも来てくれと。そうした言葉は全部ビデオに撮ってあります。かなり踏み込んだことを言っていました。
※SAPIO2014年2月号