2013年は、キャロライン・ケネディ駐日大使の父であるジョン・F ・ケネディ元大統領が1963年に暗殺されてから50年が過ぎた年であった。アメリカ政府の公式見解では、ソ連に亡命経験のある元海兵隊員、リー・ハーベイ・オズワルドがテキサス教科書倉庫ビル(TSBD)から狙撃し、単独犯行だったとされている。
だが、白昼の暗殺劇には数多くの謎が残る。そのことにいち早く注目した国際政治ジャーナリストの落合信彦氏は話題の新刊『二〇世紀最大の謀略』(小学館文庫)の中で「重要証人の相次ぐ変死」という謎を指摘している。
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暗殺事件後数年のうちに、事件の証人や、それに何らかの関係があった者達が、自殺、事故、他殺によって、16人も死んでいくという、前代未聞の現象が生じる。彼らの一部の名前と、その死に方を挙げてみると……、
●マリー・マイヤー──彼女はケネディ大統領の恋人だった。大統領暗殺の翌年9月、彼女はワシントンのジョージタウンにあるアパートで、死体となって発見される。事件後、CIAの防諜部長ジェームズ・アングルトンが彼女のアパートを訪れ、その日記帳を持ち出し、CIA本部で焼き捨ててしまった。
●アルバート・ガイ・ボガード──暗殺2週間前、オズワルドのダブル(※)が新車を見に行った時、展示場にいたセールスマン。彼は、その時のオズワルドと、後に逮捕されたオズワルドとは全く違う、と言い張った。1966年2月、彼は自殺している。理由はいまだわからない。
【※注】事件前にオズワルドを名乗って現場周辺に出没していた複数の人物の内の一人。
●ウィリアム・ウェイリー──暗殺直後TSBDを出て自宅に向かったオズワルドを乗せた、タクシーの運転手。1965年12月、やはり自動車事故で即死している。不思議なことに、自動車事故で死んだ3人が3人とも、ほかの車とぶつかったのではなく、すべて単独事故の結果だった。
これらの死は、一時的に人々の興味を集めたが、すでに後のまつりであった。一人死ぬごとに、真実が遠のいていった。「死んだ証人は、決してしゃべらない」というマフィアの教条の一つが、これほど見事に実践された例もめずらしい。
※落合信彦/著『二〇世紀最大の謀略』(小学館文庫)より
■特設サイト(http://www.shogakukan.co.jp/pr/90th/408880.html)で落合信彦氏の動画公開中