大日本帝国海軍創設以来、四方を海に囲まれた島国を守りつづけてきた日本の軍艦がいま、人気を集めている。識者に「日本史上最高の軍艦」をたずねたところ、元海上自衛隊海将補の川村純彦氏と元航空自衛隊空将の佐藤守氏があげたのは、連合艦隊の旗艦「長門(ながと)」だった。
現代でこそ「大和」のほうが高い知名度を誇っているが、太平洋戦争当時「大和」の存在は極秘扱いだったため、国民に最も親しまれていたのは、この戦艦「長門」だ。
「当時世界最大の41センチ砲を搭載した超弩級戦艦で、アメリカのコロラド級戦艦、イギリスのネルソン級戦艦と共に、『ビッグ・セブン』の1隻としてその名を世界中に知らしめていました」(川村氏)
栄えある連合艦隊旗艦として海戦を迎えた「長門」であったが、物量で劣る日本海軍は主力艦の喪失を恐れたため、内地で待機することが多く、連合艦隊旗艦の座も「大和」へと譲ることとなった。
その後、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加し、日本へ帰投した後、唯一航行可能な戦艦として終戦を迎える。
しかし、米軍に接収された「長門」を待ち受けていたのは、米軍によるビキニ環礁核実験の標的艦に使用されるというあまりにも過酷な最期だった。
「米軍の原爆実験に使用された『長門』でしたが、他の艦船が沈んでいく中で、猛烈な爆風を耐え抜いた。『長門』はその後の第2実験でさらなる爆風を受けますが、それでもまだ水上にとどまっていた。しかし、2度目の被爆から4日後の朝、実験関係者が『長門』の姿を確認しようとすると、すでに海上からその姿は消えていました」(佐藤氏)
“連合艦隊旗艦”として最後の意地を見せ、『長門』は太平洋での眠りについた。
※週刊ポスト2014年1月24日号