日本はいま「軍艦ブーム」だという。呉市の大和ミュージアムは入館者が開館から8年足らずで800万人を超える人気を呼んでいる。数多い軍艦の中から、軍事評論家の熊谷直氏が推薦するのは、マリアナ沖海戦で被弾わずか1発の「瑞鶴(ずいかく)」である。
南雲忠一中将の指揮下、1941年12月の真珠湾攻撃に参加した航空母艦。以来、珊瑚海海戦、南太平洋海戦など数々の海戦に参加するが、1944年6月のマリアナ沖海戦まで一発の被弾も許さず、“幸運艦”と呼ばれた。
「当時、最新鋭の空母として南太平洋海戦で敵空母ホーネットを大破させるなど、武勲を重ねました。日本軍機が次々に撃墜され、『マリアナの七面鳥撃ち』と称されたマリアナ沖海戦においても大激戦の中、被弾わずか1発という運の強さを誇りました。運も強さのうちですが、手練れの乗組員の功績も高く評価されるべきです」(熊谷氏)
小沢治三郎中将率いる機動部隊の旗艦として臨んだレイテ沖海戦では、敵空母を誘い出す囮(おとり)の役割を務めた。すでに艦載機もほとんどない状態で米空母群に挑み、多数の敵機の雷爆撃を受け命運尽きた。
「小沢艦隊は見事に敵のハルゼー艦隊を北方に引き寄せましたが、その作戦の成功は自らの死を意味しました」(熊谷氏)
真珠湾以来の殊勲艦である「瑞鶴」の沈没は、帝国海軍機動部隊の終焉を意味した。
※週刊ポスト2014年1月24日号