食道がんのため死去した女優・淡路恵子さん(享年80)。1990年、かつての夫・萬屋錦之介さんとの間の最初の息子で、淡路さんの三男・小川晃廣(あきひろ)さんがバイク事故で亡くなる(享年22)。1997年には、錦之介さんも帰らぬ人となった。そして2004年、四男の哲史(さとし)さんが、淡路さんの自宅で金品を物色していたとして逮捕される。警察は当初、家庭内の問題として穏便にすませようとしたが、厳罰を望んだのは、他ならぬ淡路さんだった。
「親子だからと簡単にすむと思われては、本人のためにならない」
その厳しい決断は、大きく報じられた。
「あの時は大変でした」
そう話すのは17年にわたってマネジャーを務める所属事務所社長・小林香代子さん(67才)だ。
「警察から電話が入って、淡路さんの代わりに私が警察署に行きました。『家庭内の問題だ』という警察に対して、『とにかく逮捕してください』と朝までずっとお願いして…。仕事で署に来られない淡路さんが電話口から署長に逮捕してほしいとお願いして、ようやく逮捕に至りました」(小林さん)
そこまで淡路さんと小林さんがせざるを得なかったのには、もちろん理由があった。
「淡路さんからは夜中に何度も『小林さん、助けて』と電話が入って、そのたび、自宅に行きました」
そこには、酒を飲んで酩酊し、ナイフを手に母親の前で暴れる哲史さんがいた。
「怯えてしまっている淡路さんをそこに置いておけませんから、その度、私の家に連れて帰ったんです」(小林さん)
小林さんの家に戻り、2人でひとつのベッドに寝たことは、1度や2度ではなかった。刑期を終えた哲史さんを、淡路さんの代わりに迎えに行ったのも小林さんだった。
「当初、哲史くんが刑務所から出てきたときに、淡路さんは『私はサトちゃんには会いたくない』っておっしゃったんです。でも、私が『会ってあげてください。でないと、子供は捨てられたと思っちゃいますから』とお願いして」(小林さん)
最初は頑として会おうとしなかった淡路さんだったが、ようやく重い腰を上げ、大好きなわが子に対面する。そしてこんな言葉を手向けた。
「サトちゃん、一生懸命頑張って、何かあったら小林さんに相談して、バイトをして、お母さんにコーヒーの一杯でもご馳走できるようになったら声をかけてね。それまでお母さん、元気でいるからね」
しかし――再び淡路さんが哲史さんの声を聞くことはなかった。哲史さんは2010年6月、自殺する(享年36)。淡路さんは小林さんに、こう漏らしたという。
「女優は、子供なんて産むもんじゃないわね。錦之介さんとの間の子供2人だけいなくなって、何かの因縁かしら」
それは母として何もできなかったこと、母ではなく女として生きたことへの悔恨の念だった。そしてこうも語った。
「向こうに行ったら、サトちゃんを引っぱたいてやるのよ」
それは、どうして親より先に逝くような親不孝をするの、という怒りと、今度こそ母親として、子供をちゃんと叱り、育てたい、そんな淡路さんなりの愛情表現だったのかもしれない。
※女性セブン2014年1月30日号