紺碧の海に白波を立てて突き進む軍艦。その姿は勇猛ながら、滅びの運命を感じさせる悲壮さをも漂わせている。ここに紹介した絵に見覚えのある人は多いだろう。静岡県在住の画家・上田毅八郎氏(93歳)が軍艦プラモデルの箱絵に描いた作品の数々である。
上田氏は大正9(1920)年生まれ。20歳で軍に召集され、陸軍船舶高射砲第一連隊に配属された。戦時下、計26隻の輸送船に乗船してジャワ島やアリューシャン列島などを転戦し、3年8か月にわたる兵役の間、6度にわたって乗艦が撃沈された。
1944年11月には、マニラ湾で敵250機から3日にわたる空襲を受け、乗船していた輸送船・金華丸が爆発・炎上。上田氏は海に飛び込んで救助されたが、大半の乗員が犠牲となった。戦争で利き腕の右手が不自由になり、復員後は慣れない左腕で絵を描き始める。
その胸に宿るのは常に戦地への思いだった。50年来の絵画の弟子である伊藤正明さんが語る。
「上田さんは太平洋の島で偶然、巨大な軍艦が並ぶのを目にして、『見たこともない大きな軍艦がいる』と驚いた。戦後になり、当時は極秘扱いだった戦艦大和と戦艦武蔵だとわかったそうです。戦地でも絵への思いは強く、軍艦を見かける度、忘れないよう軍事郵便ハガキにスケッチしたといいます」
作画時は資料を徹底的に集め、細かな装備まで理解して描く。その絵が評判となり、1971年ごろから、世界の有名艦を集めた模型「ウォーターラインシリーズ」の箱絵を描くようになった。
同シリーズは静岡県の模型メーカー3社(タミヤ、青島文化教材社〈アオシマ〉、ハセガワ)の共同企画で1971年5月に誕生した。ウォーターラインとは船の喫水線のことであり、同シリーズの模型は喫水線以下の艦底部分を省略し、海に浮かぶ艦艇をリアルに再現。最近の軍艦ブームに乗り、同シリーズの人気も上昇中という。
その鮮烈な箱絵には、上田氏の心と体に刻まれた戦争体験が込められている。軍艦だけでなく、航空機や縁の深い輸送船など、これまで2000枚以上の箱絵を描いた上田氏は、『上田毅八郎の箱絵アート集』(草思社)で衰えぬ作画動機についてこう述べている。
「戦争から帰ってきて、左手で描き始めた。目に見えない何かに左手を動かされている。これは使命なのだ」
※週刊ポスト2014年1月24日号