1月3日、食道がんのため亡くなったやじきたかじんさん(享年64)。たかじんさんの人生は波乱に満ちたものだった。
大阪でステンレス製造業を営む一家の次男として生まれたたかじんさん。高校卒業後、「このまま家業を継いでも、専務か副社長どまり。そんな先の見えた一生は嫌だ」と歌手を志す。だが、そんな息子に父親は激怒。
「そんなヤクザなことをやらせるためにお前を育てたんじゃない! 出ていけ!」
と勘当されてしまう。
無一文で、京都・祗園のクラブなどで流しとして働き始める。そして、デビューまでには多くの時間を要した。
高校の同級生だった堀内孝雄(64才)が、先にデビューしていくなか、クラブで歌う日々が続いた。
「たかじんさんは、自分の歌を聴かずに騒いでいる酔っぱらいの客と殴り合いを繰り返し、20軒以上の店をクビになったそうです。でも、それが話題になり、レコード会社からデビューの声がかかったそうです」(音楽業界関係者)
1976年、27才のときにシングル『ゆめいらんかね』、アルバム『TAKAJIN』で、ついにデビューを果たす。その後、1986年、36才のときに『やっぱ好きやねん』が大阪で大ブレークする。
この頃から、たかじんさんは司会業にも進出し始める。
1985年、ラジオ番組『聞けば効くほどやしきたかじん』(ABCラジオ)で帯番組の初MCを務めて以降、放送禁止用語や名誉毀損も恐れないストレートな発言で、次々と冠番組を持ち、司会者として関西では不動の地位を築いていく。
なかでも『たかじんnoばぁ~』(読売テレビ)では、深夜放送にもかかわらず視聴率25%超(関西地区)を記録するという伝説を残した。
1992年に東京進出を果たすが、司会を務めていた『M10』(テレビ朝日系)の料理コーナーで「味の素」が用意されていないことに激怒したたかじんさんは生放送中にもかかわらず、セットを破壊するなど大暴れしたあげく、帰ってしまうという事件を起こす。
結局、東京の水は合わず、わずか半年で撤退。以来、たかじんさんは「東京嫌い」を公言するようになった。
また、私生活でも紆余曲折を繰り返す。21才で結婚、長女をもうけるも、6年で離婚。「もう一生結婚しない」と語っていたが、1994年に15才年下のモデルと再婚。だが、その結婚生活も11年で破綻してしまう。
そして最後の妻となったのが、昨年秋、入籍した32才年下の新妻・A子さん(32才)だった。
※女性セブン2014年1月30日号