1月14日に実現した細川護熙氏と小泉純一郎氏の“元首相連合”によるツーショット(東京都知事)出馬表明。その出馬表明に先立つ50分間、料亭内で2人は何を話していたのか──。その場を知る人物の証言をもとに再現する。
「喉が渇いた。ビールだ、ビール!」
その日、主役である細川氏以上に高揚していたのは、小泉氏だった。小泉氏は、2005年の郵政解散以来、9年ぶりとなる大舞台を前に、ビールを呷り、天丼を頬張っていた。これから出馬表明しようとする細川氏も快く乾杯に応じた。
場所は、古くから政治家の会談場所として知られ、数多くの政変劇の舞台となってきたホテルオークラの料亭・山里。
そもそも、小泉氏が「出たら応援する」と促して動き出した「細川出馬」だったが、実はこの日の会談まで、果たして小泉氏がどれほど本気で細川氏を支援するつもりなのか、選挙を支える細川側近らも計りかねていたという。
「会談にいたるまで、ほとんどのやり取りは2人が直接、電話で重ねていた。この会談自体、場所と日時が直前まで二転三転していた。そのため周囲は、本当に小泉さんは支援してくれるのかとやきもきしていた」(側近のひとり)
その不安は杞憂だった。小泉氏は、細川氏の待つ座敷に入るなり、いきなりビールを所望した。その高揚感を見て、細川氏は小泉氏の本気を確信したという。小泉氏と細川氏は、ともに歴史好きとして知られる。小泉氏は細川出馬を、小泉節を利かせてこう促した。
「今日は旧暦でいうと12月14日。赤穂浪士の討ち入りがあった日だ。細川さん、出馬表明するなら今日しかない」
この小泉氏の呼びかけに、細川氏は、「城山となるか!」と応じたという。
城山──明治維新で大久保利通ら維新政府と「征韓論」をめぐって対立した西郷隆盛は、西南戦争で政府と戦い、「本道を進んで潔く戦死するだけ」と仲間に告げ、故郷・鹿児島の城山という地で最期を遂げた。
「政府に尋問の筋これあり」と兵をあげた西郷のように、大義のために死ぬ覚悟はある──細川氏は小泉氏に、そう決意を表明したのだ。前代未聞の「元首相連合」誕生の瞬間だった。
※週刊ポスト2014年1月31日号