賛否両論を呼ぶ本誌・週刊ポスト「死ぬほどセックス」特集だが、『週刊文春』1月16日号「誰が読むの? 『現代』『ポスト』の老人セックス特集」という記事にはたじろいだ。
気鋭の思想家、仲正昌樹・金沢大学法学類教授が、自ら「50歳の童貞」だと認めた上で、真っ向から本誌セックス特集を批判したのだ。
<自らの“延命”のため(中略)半風俗雑誌化の道を歩んでいる>
<性生活が(中略)“充実”していることが、人生の満足度に直結するのか?>
その批判の真意はどこにあるのか。仲正氏と本誌の全面対決と相成った。
──本誌のセックス特集を批判された意図はどんなものなのでしょう。
仲正:『ポスト』のような“社会派の雑誌”が毎号、高齢者にセックスを勧めることに何か社会的意義があるのでしょうか。
高齢者がセックスすることや性について語ることがタブーになっているなら、それを打ち破る意味がありますが、その種のタブーがあるとは思えない。つまり、すでにしている人は勝手にしているわけで、ことさら取り上げる意味がどこにあるのか。
風俗雑誌ではない『ポスト』が高齢者の性を取り上げるなら、別のアプローチがあるはずです。
たとえば、老人ストーカーや高齢者のエイズ問題を取り上げ、その中で高齢者特有の恋愛心理や性の技術を取り上げるならまだわかる。しかし、そうした記事はお飾り程度で、実際にはただセックスを煽っているだけに見えます。
──『文春』の記事では<長寿社会の現在、性生活の充実はそのまま人生の満足度につながる>という本誌の主張に疑問を呈しました。
仲正:セックスしなくても人生が充実している人は世の中にたくさんいると思いますよ。
仮に、セックスが必要不可欠な人がいるとしたら、それはどういう人で、なぜ必要なのか。そういう考察をせず、ただAV男優並みのテクニックを持ち、若い女性と週に何度もセックスすることが性生活の充実であり人生の満足だ、と言っているように見える。
──しかし現実に、高齢者向けセックス特集には読者から大きな反響があります。
仲正:仕事をリタイアして人生に限界を感じ、生き甲斐を失った人が、刺激を求めているからではないでしょうか。従来、そういう人に向けて、『サライ』のようなシニア向けの雑誌が趣味に生きることを提唱していた。しかし、趣味だけではどうも物足りない。
そこで「もう一度セックスを」というわけでしょうが、飛躍しすぎです。実際の高齢者には、そこまで性への強い欲望はないと思います。「死ぬまで」セックスしたい、などと思っていないのに、無理に欲望を喚起しようとしているように見えます。
※週刊ポスト2014年1月31日号