夏の甲子園大会で5打席連続敬遠され、巨人入りしてからは主砲として活躍。2003年にニューヨーク・ヤンキースへ入団してからもゴジラの愛称で親しまれ2012年に引退した松井秀喜氏が、もし日本で野球を続けていたら──。『プロ野球なんでもランキング』(イースト・プレス刊)著者の広尾晃氏の協力のもと、できるだけリアルにシミュレーションしてみた。
実際は、日本で10年、メジャーで10年の計20年間で、通算2643安打、507本塁打、通算打率.293をマークしている。
日本に残っていたらどうなったか、データとエピソードから算出してみた。2003年以降はメジャーの記録をベースとするが、2006年の外野守備での故障はなかったものとした。試合数は日本の試合数に合わせ、出場率を掛けて算出。打率はメジャーでの成績よりも10%、本塁打は80%、二塁打、三塁打、打点は20%それぞれアップすると考えた。
松井はメジャー移籍後、強打者ぞろいのヤンキースにあってチームプレーに徹し、本塁打を狙いに行かなかった。しかし日本のプロ野球では4番として本塁打を意識して狙うと考え、アップ率を高めに設定した。
その結果、プロ野球生活20年間で通算2795安打、650本塁打、通算打率.306となった。
通算安打は王貞治(2786本)を抜き、張本勲、野村克也に次ぐ歴代3位の2794(イチローは除く)。通算打率は長嶋茂雄(.305)を抜いて、歴代12位の打率.306。そして本塁打も長嶋(444本)を大きく上回り、野村克也にあと7本に迫る歴代3位の650本となる。
「通算本塁打数は、王より2年早い38歳で引退しているので、王には届きませんでした。それに、55本の年間本塁打記録も、2002年の50本が最高で、それを塗り替えることはできなかったと思います」(広尾氏)
なお、日本に残ったことで実現するのが、松井のWBC出場だ。史実では2006年、王監督から直々に勧誘を受けながら、ヤンキースでのキャンプを優先したいとして断わった松井。しかし巨人にいれば断われない。日本代表としての松井秀喜が見られただろう。
※週刊ポスト2014年1月31日号