『週刊文春』1月16日号の「誰が読むの? 『現代』『ポスト』の老人セックス特集」という記事で本誌・週刊ポストのセックス特集を批判した気鋭の思想家、仲正昌樹・金沢大学法学類教授。その真意はどこにあるのか、聞いてみた。
──記事のなかで、<現在五十歳の私は(中略)これまでの人生で、異性であれ同性であれ性的関係を持ったことがない>、つまり童貞であると公言したのはどうしてですか。
仲正:自分の立場を鮮明にした方がいいと思ったから。別に性的不能でもなく、性欲がないわけでもないけれど、私は18歳から29歳まで統一教会の信者で、性的関係を持つ機会がなかった。
脱会したあとに性欲が強まることもなく、そのうち仕事が忙しくなり、セックスする相手も機会もないまま今日まできた。高齢童貞を恥じるわけでもありませんし、さほど孤独を感じるわけでもありません。
ただ、誤解しないでもらいたいのは、「私は高齢童貞だ」などと、弱者アピールをするつもりはないんです。みっともないでしょう。
──では仲正さんにとってセックスとは何でしょうか。
仲正:ヒトの人生に重要なものであることは間違いない。それがないと子供が生まれないわけだから。しかし、セックスしないと生きていけない、というほどのことではない。事実、私はしないでも生きてますから。
確かに性欲は処理しなくちゃいけないけど、自慰で射精しなくても、なんとかなる場合もあるので。
──「セックスを体験しないと一人前じゃない」という考え方もありますが。
仲正:そういう社会的プレッシャーを乗り切れば、しなくてもいいという人はいると思います。実際、50歳までセックスの経験がない人って、よく聞きますよ。50歳の男性のうち間違いなく数%はいる。
若い人の場合、実際の性欲以上に、そういう社会的プレッシャーに動かされ、セックスするのだと思います。特に、女性経験を武勇伝的に語りたがる安保世代や全共闘世代にはその傾向が強かった。
ただ、彼らが社会の一線から退き、社会的プレッシャーが弱まっているからこそ、若い人の草食化が進んでいるのだと思います。高齢者のセックス特集には、そういう世代の最後の悪あがきという側面もあるのでは?
※週刊ポスト2014年1月31日号