社内の人間同士で飲みに行く「飲みニケーション」、あなたはやってますか? ネットでは不評の習慣、最近は会社の制度として取り組むところも増えてきているそうで。コラムニストのオバタカズユキ氏が「飲みニケーション」の効用を考える。
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このところよく、「飲みニケーション」という言葉を目にする。会社関係者との酒づきあいを表した造語で、誕生したのは高度経済成長期だろう。使用されていたのはバブル期ぐらいまで。以来、ずいぶん長いこと死語化していた。それが、数年前から復活、最近は議論の対象にもなっている。
議論は大きく二極に分かれている。「飲みニケーション」を再評価する復活肯定派と、そうした世間の動きに眉をひそめる復活否定派だ。
肯定派の多くが言っていることはわりとシンプル。仕事仲間と酒を飲みながら語らえば、職場では口にしにくい思いや情報を共有できて、親しくなれるといった意見だ。若手社員の多くが、実は上司から飲みに誘ってもらいたいと思っている、とのアンケート結果を示しながら、部下の扱いに困っている中年上司を励ます。そんなビジネス系のメディア記事もけっこうある。記事を自分のブログやフェイスブックなどで紹介して、「飲みニケーションの大切さを再認識しました!」などと書いている人も少なくない。
対して、否定派はさほど簡単な話ではないという。一緒に飲んだとしても、相性の悪い人間同士は仲良くなれない。そもそも酒の力を借りなければ本音を出せないような職場のあり方自体が問題。それを「飲めば分かる」と安易に考える上司がいたら、パワーハラスメントの危険性を指摘したほうがいいのではないか。そのように肯定派を批判している。ブログでロジカルに批判する人もいれば、ツイッターで吐き捨てるように「飲みニケーション」を腐している人も多い。
もちろん、中間派や是々非々派など、二極のどちらにも振れていない意見もあるのだが、ネット上ではどちらかというと否定派の声のほうが大きい印象だ。たしかに酒席ではそれこそ文字通り声の大きな者、力の強い者が場の空気を支配しがちだといえる。これまでそうした場での「被害」を我慢してきた人々が、「飲みニケーション」という言葉を目にした瞬間、「そんなのウソだ!」と告発しているようである。
このような議論をいろいろ読んでいくと、酒席が好きな私としては微妙な気持ちになってしまう。どちらの言いたいことも分かる気がする。けれども、酒を仕事仲間と飲むというだけの行いに、これほど賛否両論が渦巻くというのも悲しくないか。嫌煙論争までは激しくないが、ここでも断絶が生まれている……と、うな垂れてしまうところがある。
肯定派で「飲みニケーション」を押しつけるようなことを言っている人は滅多にいない。そのかわりに、少しでも目の前の部下との関係が滑らかになるなら、ぜひとも「飲みニケーション」を活用したい、という意気込みのようなものを大勢が発している。それだけ職場の仲間同士が一体感を持って働くことが難しくなっているのだなと思わされる。その根幹に、家族主義的な経営をキープするだけの体力が会社になくなったことがあるのは言うまでもない。
否定派の声には、日本の職場がそこで働く人々に求めてきた、過剰な同調圧力に対する怒りの感情が含まれている。「参加は自由だとしても、同僚のみんなが参加するなら自分だけ断るわけにはいかない。それが日本の職場の平均像だ」という旨を匿名ブログで綴っている会社員がいた。いつまで経っても減る気配のないサービス残業と地続きの構造を「飲みニケーション」にも連想してしまうのだ。これもまたリアルな話である。