1983年にテント式の劇場で誕生するやいなや爆発的な人気を集め、日本初のロングラン公演、チケットの流通革命など社会現象になった『キャッツ』。あれから30年、上演都市は全国9都市・公演回数は8600回を超え“奇跡のミュージカル”と呼ばれている。4月の福岡公演を控えた今、作品を支える“猫たち”の素顔に迫る。
マジジャン猫・ミストフェリーズの初代、飯野おさみは30年前の初日を、引退を覚悟して迎えた。
「猫の動きを知るところからスタートしました。一日中四本足で過ごしたり、野良猫に話しかけたりしましたよ。傾斜舞台なので、立っているだけでも大変でね。ミストフェリーズはずっと動きっぱなしの役なので、稽古の時は自分の番になると足がつってできないくらい。
それにバレエをしたことがなかったから、イチから覚えて。34回くらいある“フェッテ”(片足で回転し続ける動き)も傾斜舞台だからセンター(中心位置)がなかなかとれない。初日前日もできなくて、これで失敗したら引退するしかない、と覚悟を決めて初日を迎えたんです」(飯野)
しかし、本番で成功した。
「初日のフィナーレには涙しましたね。ぼく自身の進退もそうだったけど、劇団四季もキャッツにかけていたと聞いています。ダメなら全て失うという覚悟でやっていたので、責任重大でしたね」(飯野)
もともとアイドルグループ『ジャニーズ』のメンバーだった飯野。ダンスの実力には定評があった。
デビュー当時16才。「思ったより人気が出ちゃって」と笑うが、内心ダンスを学びたくてしかたがなかったという。グループ解散後、25才の時に渡米。
「ダンススクールを4つも5つも掛け持ちして、いろんなダンスを習っていたんです。でも半年も経てば、お金が尽きてくる。
レッスン受けてハンバーガーを買ったら、もう50セントしか残らない。いよいよ帰国だ、というその日にレッスンに行ったら、先生から“ぼくの代わりにおさみが先生をしなさい”といきなりお金をもらう立場になっちゃった。その後行ったもうひとつのスクールでも“おさみ、もうレッスンなしでOK。今日からアシスタントになりなさい”と言われた。同じ日にね。ラッキーだったんですよ」(飯野)
ただ「いつもいちばん前で、完璧でなくても一生懸命踊っていただけ」と言う。
それから1年半は、サミー・デイヴィスJr.と共演したり、トム・ジョーンズのグループに振り付けをして一緒に踊ったり、200人の生徒に指導したりして過ごした。
その後、劇団四季の『アプローズ』のオーディションを受けて合格。
「もともと芸能界に入りたいと思ったきっかけが『ウェストサイド物語』。ずっとミュージカルがやりたかったんです」(飯野)
アメリカの第一線で活躍していた飯野のダンス力に、劇団四季はかけていたに違いない。ミストフェリーズも彼ならやってくれるだろう、と。
「今演じている『リトルマーメイド』のセバスチャン役も開幕直前のタイミングで出演することが決まったんです。ミストフェリーズの時もそうだったけど、“やるしかない”の連続ですよ(笑い)」(飯野)
そのバイタリティーはダンス修業をしていた時代となんら変わっていない。誰もが全身全霊をかけて演じ切る。それが“奇跡”と呼ばれる作品を作り上げている。
※女性セブン2014年2月6日号