プロ野球の最多勝歴代1位、金田正一の400勝は2位と50も差がついている記録の金字塔だ。もし、カネやんがメジャーで投げていたらどうなったか──。奇想天外なシミュレーションだが、『プロ野球なんでもランキング』著者の広尾晃氏の協力のもと、計算した。
「金田の国鉄時代の成績は、投手2人分のようなものなんです。先発投手としても20勝投手だが、救援投手としてもセーブ王の働きをしている。ただ、1950年代のメジャーではそういうことがありえないので、金田の先発投手の成績に基づいた成績で算定した」(広尾氏)
1950年にメジャーのスカウトの目に留まってメジャーに行き、2年間はマイナーで投げて、3年目に当時の一番の強豪、ブルックリン・ドジャースで投げ始めたとする。当時のメジャーでは35試合以上投げることはなかった。そこで最大35試合とし、弱小チームだった国鉄とドジャースの勝率を割り出して、勝ち星を25%増で算定。奪三振数は10%落とし、防御率はメジャーのほうが圧倒的に本塁打が多いとして、40%落とした。
結果は18年で通算232勝。1953年と1955年に最多勝を挙げ、1955年から1958年の4年間は防御率1位。2回の最多勝の時はサイ・ヤング賞はなかったが、ドジャースが優勝するので、MVPになったと考えられる。ご本人に、このシミュレーションデータをぶつけた。
「たった232勝? えらい少ないなあ。日本のピッチャーを軽く見すぎだよ。まァ、そもそもワシに仮定の話は通用しませんよ。
サイ・ヤング賞がなかった? 関係ないよ。ワシが活躍して『マサイチ・カネダ賞』を作ればいいだけの話だ。ワシはどんな環境にも順応できる。想像力を超えている人なんじゃ」
※週刊ポスト2014年1月31日号