【書評】『狭小邸宅』新庄耕/集英社/1260円(税込)
【評者】川本三郎(評論家)
恋愛を描いた青春小説は数多いが、主人公の若者がどういう仕事をしているのか、きちんと描く小説は少ない。
そんななか、第三十六回すばる文学賞を受賞した新庄耕(1983年生まれ)の『狭小邸宅』は、主人公の仕事そのものを丁寧に描いていて面白い。生きるとは、日々の仕事をなんとかこなしてゆくことに他ならない。
「僕」は一流大学を卒業して、東京都内の不動産の会社に入った。住宅を売る営業マン。好きで入社したわけではない。就職活動を熱心にしなかったら、他にもうなかった。恵比寿に本社ビルがある会社だから中堅だと思うが、営業の仕事はきつい。
上司からはしょっちゅう怒鳴られる。時には暴力も受ける。罵倒は当り前。「てめぇ、なめてんだろ」「売る気あんのかよ、てめぇはよ」「売る気ねぇならさっさと辞めろ、もうお前なんかいらねぇんだから」。そんなやくざまがいの言葉が社内を日常的にとびかう。 「僕」は入社して数ヶ月たっても一軒も売ることが出来ず、支店に飛ばされる。そこでも上司から、見込みがないから「辞めてくれ」と言われる。
休みらしい休みもとれない。朝早くから夜遅くまでくたくたになるまで働く。だから「僕」はいつも眠い。
大変な職場だ。同期は30人ほどいたが、一年少したったところで残っているのは「僕」を入れてわずか6人。
題名の「狭小邸宅」とは、狭い土地にぎりぎりに建てられたペンシル・ハウスのこと。戦前の東京には、丘の上に赤い屋根の家があったが、現代では、もう鉛筆のように細い家しかない。
「僕」は上司に怒鳴られながら、そのペンシル・ハウスを必死に売る。駅前でサンドイッチマンまでする。プライドを捨てる。
努力の甲斐あって、「僕」がついにペンシル・ハウスを売ることに成功するところは、思わずほろりとする。
といっても、この小説は根性ものではないし、サクセス・ストーリーでもない。生きるとは結局は仕事をすることであり、その仕事とは苦しく、苦しさのなかに喜びを見つけ出すしかないとシニカルに語っている。
ペンシル・ハウス、狭い土地にかろうじて建っているささやかな家は、現代を生きるわれわれのことかもしれない。
※SAPIO2014年2月号