24日、春の選抜高校野球の代表校を決める委員会が行われ、1980年代前半に“やまびこ打線”で一時代を築いた池田高校(徳島)などが代表に決定した。高校野球では、これまで何人もの“怪物”が生まれてきたが、その元祖とも言える江川卓氏についてスポーツライターの永谷脩氏が綴る。(敬称略)
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2月1日は“球春”とともにやって来た。プロ野球のキャンプイン初日であるとともに、かつては高校野球のセンバツ出場校の発表日でもあったからだ。
高校野球といえば、戦後最高の投手は、私は作新学院の江川卓をおいて他にいないと思っている。新チーム結成以来20戦以上全勝、春のセンバツには防御率0.00で選ばれ、通算60奪三振の記録を樹立。夏の予選でも1点も奪われず甲子園に出場した。そんな投手は現在も1人もいない。当時は、追っかけ同然の取材をしていたものだ。
世の中には「怪物ブーム」が起き、作新は週末になると招待試合が続いた。九州・沖縄にも遠征。事件はそんな最中、宮崎を訪れていた1973年5月12日に起きた。作新は宮崎実(現・日章学園)を相手に2-2で引き分ける。「江川が打たれた」のだ。宮崎実は前年秋の九州大会の優勝校ながら、部長の不祥事でセンバツ出場を辞退していた強豪校。江川を打ったのは、4番・石淵国博という男だった。
江川は高校3年間で、本塁打を3本しか打たれていない。1本目は高1の秋、早実・阿部。2本目は高2の春、長野・丸子実(現・丸子修学館)の小宮山。そして3本目が高3の春の石淵だった。それまでは学校のグラウンドだったが、3本目はきちんとしたフェンスのある公式球場で打たれたことで、大きな注目を浴びた。
巨人がキャンプを張る宮崎の野球熱はすごい。この試合にも地元局のテレビ中継が入り、入場券(200円)が飛ぶように売れ、5000人収容の球場は立ち見の余地もないほどの状態だった。その中で、出会い頭とはいえ、レフトスタンドに運んだ石淵の本塁打は、彼の評価を上げるのには十分だった。打たれた江川は相当悔しかったのだろう、翌日の都城農戦で本気の投球を見せ、ノーヒットノーランを達成している。
※週刊ポスト2014年2月7日号