【書評】『生命とリズム』三木成夫著/河出文庫/893円
【評者】香山リカ(精神科医)
著者の三木成夫氏は解剖学を専門とする医学者であるが、生命三十億年の歴史の上に立つ人間論の語り手という一面も持っている。ヒトは受精してから胎内で「生物の進化の歴史」をそっくりたどって出産に至るとする名著『胎児の世界』は、三十年前の本だがいまだに読み継がれている。
その三木氏の講演やエッセイを集めた本書だが、主に私たちが生きものとしてかつて持っていていまは失いつつある「リズム」の問題が柱となっている。朝起きて夜眠る、規則正しく深い呼吸をする、胃にたまった食物が自然に腸へと送られていく、などは誰に教えられたわけでもない私たちの自然な営みだが、最近はそれがうまくいかなくなり不調を訴える人も少なくない。
とりわけビジネスマンは、現代人は文字通り「息を飲む」ばかりで「息詰まり」の状態にある、という著者の指摘にハッとするのではないか。それがからだの中での「燻り(くすぶり)」となってもたらす不調を解決するには、とにかく「気を吐く」ことだ。
井戸端会議やカラオケなども悪くない。おそらく「稲刈り唄」や「舟牽き(ふなびき)唄」などには、臍下丹田(せいかたんでん)に力を込めて高らかに声を出しながら働き、「仕事による完全燃焼」を促す知恵があったと著者は考え、こう嘆く。
「このような仕事の形態は、今日の私たちにとっては、もはや遠い過去の幻でしかありません。いまや私たちは、ただ黙々と作業をするのみです。時に、ひとりで気を吐きながら、しかし多くは息を詰まらせ、さらにその息も途絶えがちに……。」
新たな健康を獲得するのではなく、生命三十億年の結実であり宇宙のリズムと同期するこの身体に信頼を寄せ、本来のリズムや機能を呼び起こせばそれでよいのだ。生命への賛歌とともに現代人に対するあわれみをも含んだ著者のそんな声がどのページからも聞こえてくる本書は、本当の意味での健康本といえる。次々にダイエット本やトレーニング機器に飛びつきがちな人は、ぜひ本書をじっくり読んでほしい。
※週刊ポスト2014年1月31日号