舞台俳優からキャリアをスタートさせ、映画やテレビドラマなど多くの場面で活躍してきた蟹江敬三といえば、常軌を逸した悪役のイメージが強くあった。悪役を演じるうえで意識してきた「悪」について蟹江が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏が解説する。
* * *
1970年代、蟹江敬三は数多くの刑事ドラマや時代劇で悪役を演じてきた。しかも、そのほとんどは『Gメン75』に何度も登場した殺人鬼・望月源治のような、容赦ない凶悪犯である。当時の彼の目からは狂気ともいえる冷たさが宿っており、お茶の間の視聴者を震撼させていた。
「当時は悪役ばかり来るわけですから、工夫しなきゃと思っていました。『その役を面白くする』ことを面白がるといいますか。そうやってその役の魂っていうか心根に入っていくわけです。そうすると、いい衝動が出てきたりするんですよ。
役者にとって、悪は魅力的ですよ。普段の自分にはできない非日常なことをしているわけですから。もしかしたら、悪っていうのは自分にありえたかもしれない人生だと考えると、役に入りやすい。どんな人でも、そういう悪の芽をいっぱい持っているんじゃないでしょうか。
それから、あまり怖そうに演じない方がいいと思います。『俺は怖いんだぞ』ではなくて『私は普通ですよ』という人の方が怖いっていう気がします。実際に人を殺した人って、一見すると普通の人に見えることが多い。ところが、どこか目がイッている。そういうところに恐怖を感じるんだと思うんです。
ただ、それを長いことやっていると『もっと他にやれる役があるんじゃないか』と思い始めたんですよね。1980年前後でしたか、そんな時に『熱中時代 教師編Part2』で峰竜太とコンビを組む警官や『野々村病院物語』の病院事務長役の話がきて、役の幅を広げることができました。『悪役ばかりで嫌だ』と思っている時に『違う役をやらせてみよう』という人がいてくれたのは、ありがたいですね」
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか新刊『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)が発売中。
※週刊ポスト2014年1月31日号