日本相撲協会の理事候補を決める選挙が1月31日に実施され、元横綱千代の富士の九重親方が落選した。これまで日本相撲協会では、年寄名跡(現在は107)を所有する全親方の中から2年ごとに10人の理事を選出してきた。選出は長らく、角界独特の“談合”方式で行なわれてきた。
協会内には明治期から続く歴史ある部屋を中心に、師弟関係で結ばれた「一門」という組織系統が存在し、本場所や稽古、巡業から冠婚葬祭といった行事に至るまで、一切が「一門」で取り仕切られてきた。理事の選出も例外ではない。
出羽海、二所ノ関、時津風、高砂に立浪・伊勢ヶ濱を加えた5系統の一門があり、各一門から2人ずつの理事候補を推薦することで、1968年の選挙制度導入以来、15期30年の長きにわたり「無投票選出」が続いてきた。
変化が起きたのは境川理事長(元横綱・佐田の山)時代である。理事長が年寄株の協会帰属や売買の禁止など旧弊の改革に乗り出したことに反発する守旧派によって、1998年の理事選で定員以上の候補者が立候補。初の投票が実施された。結果は守旧派の代表格の親方が2人理事に当選、その混乱の責任を取って境川は理事長を退任。2000年、2002年も選挙が行なわれたが、その後守旧派が主導権を握り、また無投票が続くことになる。
2002年に北の湖が理事長に就任(第一期)。この頃、各一門2人ずつという均等配分は崩れ、親方衆の人数に応じて出羽3、二所3、伊勢ヶ浜・立浪3、高砂1、時津風1という配分になる。
そして2010年、まだ記憶に新しい「貴乃花の乱」が発生。二所ノ関一門から理事に立候補した貴乃花が、一門内の調整で立候補を断念させられると、一門を離脱して出馬、当選を果たす。この時から、今回まで3期連続で投票が行なわれている。一門の「縛り」は以前ほど強力ではなくなり、票読みは難しくなったといわれる。
※週刊ポスト2014年2月14日号