国立競技場で最後となった早明戦
明治大学4年時には主将、引退後には監督としてラグビー部を率いる吉田義人氏(44)。今は『サムライセブン』を設立し、クラウドファウンディングなどユニークな方法も用いて7人制ラグビーの普及に力を注いでいる元日本代表に、7月に解体される国立競技場と早明戦への思いを語ってもらった。
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実は、僕の国立競技場デビューは超満員じゃなかったんです。高校3年の時に高校選抜の東西戦があって、東日本代表として出場しました。その試合は日本選手権の前座だったので、観衆はほとんど入っていなくて、「あれ? テレビで観ていたのと違う」って思いましたね(笑い)。
超満員の国立デビューは明大1年の時の「雪の早明戦」。競技場に出て行った時の歓声は今でも忘れられません。
国立競技場は陸上のトラックがあるので、スタンドまでが遠い。それにバックスタンドの造りが独特なんです。高いすり鉢状になっているので、歓声が転がり下りて来る感覚ですね。6万人の歓声が最初は上から降ってきて、これが地響きのように下から反響する感じ。何ともいえない、初めて体験するものでした。常に平常心でやっていたつもりですが、ボールを持った瞬間に、歓声に後押しされる感じはありましたね。
早明戦は、選ばれた者しか立てない檜舞台を使わせてもらえるという点で、やはり特別なものだと思います。定期戦を国立競技場でやれるのは明治と早稲田だけ。その伝統に恥じないゲームをすることは選手の使命です。だから、好ゲームになる。好ゲームになるから、観衆が集まる。観衆が集まるから、選手はもっと頑張る。そういう相乗効果もあると思う。
試合に出る人間は、試合に出られない現役選手や、OBの方々など、常に多くの思いを背負っています。選手の時、主将の時、監督の時と、それぞれに背負うものが違う早明戦に挑みました。ただ、勝つという喜びはいつも同じでしたね。
僕は、国立競技場に育ててもらったという思いがすごく強い。だから、昨年12月の最後の早明戦は、感謝の気持ちとお礼をこめて、左コーナー延長線上の最前列で観戦しました。左コーナーは左ウイングとしてトライを目指した思い出の場所だったので、そこでお別れしました。
形あるものは必ずいつか壊れますし、寂しい気持ちもありますが、今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。
※週刊ポスト2014年2月14日号