2月1日、プロ野球界はキャンプインを迎え、新たなシーズンに向け各チームが始動した。数十人の男たちが1か月近く同じ釜の飯を食うキャンプでは、ちょっとした事件も起こるもの。スポーツライターの永谷脩氏が、1980年代にキャンプ地として栄えた高知の街の思い出を綴る。(敬称略)
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高知県がキャンプ時期の2月に賑わいを見せたのは、80年代前半のことである。高知市内の阪急をはじめ、安芸(あき)の阪神、宿毛(すくも)の近鉄、大方(おおがた)の南海に、春野の西武と、複数球団が顔を揃えていた。
特に市内を流れる鏡川沿いにあった阪急の宿舎は、キャンプ期間中、選手の帰りを待つ若い女性ファンの一団で華やいだものだった。当時の高知は昼も夜も、阪急の天下。宿舎を挟んで対岸には競輪場があり、休日などには、安芸からやって来た阪神の選手と、阪急勢が顔を合わせることもあったが、そこでは「どちらが博才があるか」と賭けをしたり、「市内で遊ぶなら日本一になってからにしろ」と、阪急勢に阪神の若手が叱責される一幕も見られたものだ。
夜には市内の繁華街・帯屋町(おびやまち)に繰り出す。そこには、人呼んで「帯屋町のカズさん」という、選手たちからの信頼の厚い名物オヤジがいた。ストリップ小屋の裏通りを入ったところにあった、ワケありの夫婦が営む小料理屋「K」の主人。キャンプの時期は休日無しで開店し、いつ来るかわからない気ままな選手たちを待っていた。
阪急の投手会の二次会は、その店の2階でやることが多かった。宴会の真っ只中、酔って我慢ができなくなった今井雄太郎が2階から用を足してしまったこともある。その時偶然、オヤジがガラリと入り口の扉を開けてしまい、夜空を見上げながら、「高知の雨は酒の臭いが一段とする」と悠然と言い放ったのを思い出す。
また、いつも店を開けていたのは、「選手に何かあった時のため」という事情もある。ある時、西武の若手が地回りの女に手を出して若い衆に追いかけられ、その店に駆け込んだことがあった。機転を利かせたオヤジが便所に隠したことで事なきを得たが、「どこの世界でも新参者は義を通さず、無茶をするから困る」とポツリと言っていた。
※週刊ポスト2014年2月14日号