2月2日、アマチュアで最も権威がある第42回ローザンヌ国際バレエコンクールで6位入賞を果たした加藤三希央さん(18才)は、父である兄弟デュオ「狩人」の兄・加藤久仁彦(57才)に、こんな感謝のメールを送っていた。
《ありがとうございました。おかげさまで6位入賞しました》
1977年に発売したデビュー曲『あずさ2号』で50万枚を超える大ヒットを記録した狩人。1993年、久仁彦は当時バックダンサーを務めていた礼子さん(48才)と結婚し、次男の三希央さんを含む2人の息子と娘に恵まれたが、その夫婦生活は波乱の連続だった。
「久仁彦さんと礼子さんはこれまで2度の離婚を経験しているんです」(音楽関係者)
最初の離婚は、まだ三希央さんが礼子さんのお腹の中にいる1995年12月。翌年の8月に復縁するが、2001年に再び離婚してしまったのだ。そして、自宅にひとり残された彼は、精神的に追い詰められていく。
「2001年頃からうまく話すこともできなくなり、精神安定剤を服用するようになってしまい、死ぬことすら考えたそうです」(前出・音楽関係者)
離婚後は3人の子供を連れて故郷の福島で暮らしていた礼子さんだったが、たまに会う久仁彦の姿は、異様なものだった。
「離婚したとはいえ、礼子さんは“自分が支えなければ”と思い、離婚する前と変わらずに久仁彦さんに接することにしたんです。そして、お子さんの三希央さんたちも“パパは私の心の支えです”という手紙を送ったんです」(加藤家を知る人)
そんな祈りの手紙を受け取った久仁彦は、家族の優しさに触れ、精神安定剤の服用もやめていく。2004年には礼子さんと再々婚。そしてボクサー挑戦を決める。
「三希央さんも含めて3人のお子さんはみんな、お母さんの影響でバレエをやっていました。久仁彦さんはそんな子供たちに、困難を乗り越えて夢に向かっていく父の背中を見せたかったんです」(前出・加藤家を知る人)
2008年9月21日、33才以上のボクサーが戦う「ザ・おやじファイト」のリング上に、引き締まった見事な体で7才若い相手に立ち向かう父の姿があった。2分3ラウンドを全力で戦い抜き、結果は惜しくも判定負け。しかし、その思いは子供たちに確かに届いたようだ。久仁彦は言う。
「メールには“すごく華があってよかったよ”って返しました。三希央がプロになって生活できるようになるまで、親として妻と協力してサポートできないとね。ぼくも仕事を頑張らないと(笑い)」
家族の夢は始まったばかりだ。
※女性セブン2014年2月20日号