相撲協会の理事改選は、「協会ナンバー2の惨敗」という結果に終わった。ところが1月31日の投票日前日、当の九重親方(元横綱・千代の富士)は再選を疑わず余裕綽々(しゃくしゃく)だったのだという。
「九重親方はその日、後援者の葬儀のため九州にいたんですが、周囲には“お世話様でした”などと勝利宣言に近い挨拶をしていました。自分は高砂一門の基礎票4票に、1票を加えて5票を集めていた。票読みでは、ライバルの友綱親方(元関脇・魁輝)は4票を上回ることはないと信じていたようです」(後援会関係者)
しかし友綱には計7票が集まり、「昭和の大横綱」はまさかのうっちゃりを食らうことになった。
友綱の3票の上積みは、「最大派閥である出羽海一門から2票、時津風一門から1票。いずれも“反九重”側の親方たちによるもの」(相撲ジャーナリスト)だったという。
「どこまでも“昭和の大横綱”のプライドにこだわり、人に頭を下げられない性格が、親方衆の不評を買っていたのは事実。残念ながら、身から出たサビとしかいいようがない」(高砂一門関係者)
九重親方は最後の最後まで自身の当選を疑っていなかったようで、当選後の動きを考え、投票日の午前中に「高砂一門会」の招集を呼びかけていた。しかし応じる親方衆はいなかった。この時点で情勢はわかりそうなものだが、本人は開票結果を聞いて愕然としていたという。
「親しいタニマチには、“俺も理事長として、国技館で還暦土俵入りがやりたかった”とこぼしていたようだ」(同前)
※週刊ポスト2014年2月21日号