日本の球史を振り返ると、弱くてもファンに愛された魅力あるプロ野球チームが少なくない。JR各社の前身、国鉄が設立したプロ野球チーム「国鉄スワローズ」は勝てないことで有名なチームだったが、通算400勝を達成した金田正一という大エースを抱えていた。
『国鉄スワローズ』がセ・リーグへの参入を発表したのは1950年1月、ペナントレースの開幕を3月に控えた土壇場だった。
もう他球団が有力なアマチュア選手を根こそぎ集めてしまった後で、選手確保に苦労する。各地の鉄道局から選手を集めたが、プロ経験者は1人だけ。窮地を救ったのが、8月に享栄高を中退して入団した金田正一だった。弱冠17歳の金田は2か月で8勝を挙げる活躍を見せ、チームはなんとか最下位を免れる(7位)。
しかし燕はなかなか空高く飛び立てず、Bクラスに沈み続けた。Aクラスは1961年の1度のみ(3位)。エース・金田も、65年に巨人に移籍してしまい、1965年5月のシーズン中、産経新聞社に経営権を譲渡して、国鉄は球団経営から撤退した。金田氏が語る。
「ワシが入団していなければ、国鉄は3年で身売りしていただろうなァ。あの時代に国鉄に入ろうなんてバカはいませんよ。
実は、ワシには阪神や中日からも誘いがきていたんだ。特に地元・名古屋の中日の契約金は100万円で、国鉄の倍の提示だった。なぜ国鉄を選んだか? 中日は内部で政権争いをしていて、ワシのところに来るのが遅れたんだよ。地元だから、放っておいても金田はウチに来るとでも思っていたんだろうな。それが気に入らなかったのもあるね。それで国鉄に入ったんだが、まァ弱かったな」
※週刊ポスト2014年2月21日号