自らが作曲していなかったことが明らかになった”現代のベートーベン”佐村河内守氏(50才)。さらに、3年前くらいから聴覚が回復していたことも自ら明かした。
佐村河内氏が世間を欺き、時代の寵児となった背景には、彼が自著などで明かしてきた壮絶な過去が影響しているといえよう。簡単にまとめると──。
●4才で母親のピアノの英才教育が始まり、10才でベートーベンやバッハを弾きこなした。
●中高生時代にして楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを学び、高校2年生の時に音楽をより深く学ぶために東京へ家出を試みた。
●高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学んだ。
●1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽『ライジング・サン』を作曲する直前に両耳の聴覚を完全に失い、以後は絶対音感を頼りに作曲を行う。
しかし地元で暮らす同級生らは、佐村河内氏を冷ややかな目で見ていたという。
「お母さんからピアノの英才教育を受けていたと聞いて驚きましたよ。ピアノを弾いているところなんて1回も見たこともないですし、クラシック音楽について話を聞いたこともありません。そもそも彼は商業科に所属していましたが、ほとんどスポーツ推薦の人ばかりです。虚言癖は昔からあって、“大人数相手にけんかして勝った”とかね。そういうふうに自分を大きく見せちゃうところがあって。でもそんなのすぐに嘘ってわかるようなものばかりなんだけど(笑い)」
また別の同級生はこう話す。
「とにかく目立ちたがり屋。パーマをかけたり、学園祭では手品をやったりしてね。彼は虚勢を張るタイプ。大ボラ吹いたことで一度地元の不良から目をつけられたこともありました。演劇部に所属していて、高校を卒業したら役者になりたいって話していましたわ。スタントマンをやったり、映画でちょっとした脇役とかをやっていたそうですよ」
※女性セブン2014年2月27日号