記録に残る弱さをみせてもなお、ファンにとっては魅力的なプロ野球。そのうちのひとつ、『千葉ロッテマリーンズ』は1996年のシーズン後に伊良部秀輝が大リーグ、エリック・ヒルマンが巨人へと移ったことで落ちた戦力は補えないまま、1998年のペナントレースで「18連敗」の日本プロ野球記録を作った。
連敗中は神社への必勝祈願、真っ最中だった参院選で使われた必勝ダルマを持ち込むなどしたが、効果はなかった。
ロッテは借金10で2年連続最下位となる。当時の近藤昭仁監督は残り1年の契約を残して辞任。退任会見で「もっと強いチームの監督をやりたかった」という迷言を残し、話題となった。近藤氏が語る。
「采配がどうこうといわれたが、18回で1回も勝てないというのは、やはりチームに力がなかったんですよ。
トンネルは長かった? 1か月近くあったからね。倒れそうになりましたよ。慕っていた藤田元司さんが“寝られないだろう”と睡眠薬をくれたが、それも効き目がなかった(笑い)。僕は、その前はもっと弱い大洋で監督をしていたから(1993~1995年)、“負け慣れ”てはいたけど、18回も続けて負けるのは信じられなかった。
自分としては最大の努力をして負けたから仕方ないけど、情けなくて外なんて歩けなかったですよ。マスコミもひどかったね。テレビカメラが目の前まで迫って来て、それを突き倒したこともあったなァ。それでもありがたかったのは、連敗中でもファンが温かかったことだね。ヤジることなく見守ってくれた。それが一番印象に残っています。
まァでも、選手たちも“地獄を見たんだから怖いものはない”と開き直っていましたよ。僕だって、契約を1年残して退団することになったけど、本当は最後までやるつもりだったんです。でもフロントから、“無理することないですよ”と肩叩きされたのが真相です。
巨人みたいにいっぱい選手がいたらいいと思った。“もっと強いチームで~”というのは、本音ですよ。
連敗中は先発投手を後ろ(リリーフ)に持っていくなど、色んなことを試みた。選手もなんとかしようとしていたと思う。ベンチに盛り塩までしたけど、効果はなかったですね。まさかあの偉大な別所毅彦さんの記録(1970年サンケイアトムズ16連敗)を、僕が抜くとは思ってもいなかった(苦笑)」
※週刊ポスト2014年2月21日号