国民のために祈り続ける天皇陛下。それを支える皇族方。そのお言葉には深い意味が込められている。近年、そのお言葉について神道学者・高森明勅氏が読み解く。
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皇室の方々の「お言葉」について誤解している人が多いようだ。宮内庁の役人あたりが当たり障りのない美辞麗句を並べた儀礼的、形式的な作文をこしらえて、ただそれを読み上げているだけではないのか。記者会見でのやりとりも、あらかじめ用意された無難なシナリオをなぞっているにすぎないだろう、と。
そんな誤解があるから、取り立てて注意を払おうとせず、一々丁寧に理解しようともしないで見過ごしているように思える。だが、実際は違う。
どのお言葉もご本人がじっくり時間をかけて用意されている。記者会見での当意即妙のお答えに舌を巻くこともある。それらの内容は驚くほど深く、鋭い場合がしばしばで、時にはかなり率直であり、“過激”ですらある。
もちろん天皇陛下は憲法上、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という極めて制約の多いお立場だ。皇族の方々も「象徴」たる天皇のご近親として、自由気ままなご発言は決して許されない。しかし、むしろそれ故にこそ、細心に選ばれ慎重に練り上げたお言葉に渾身の思いを託しておられる。
お言葉は皇室と国民を直接つなぐ、数少ない貴重な“懸け橋”である。改めて注目する必要があろう。たとえば昨年の天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見(平成25年12月18日)でのご発言。
「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
天皇の「孤独」がストレートに語られていることに、まず目を向けるべきだ。国民統合の象徴であり、三権の上に立つ国家秩序の頂点であり、わが国における究極の「公」の体現者である天皇。並ぶ者なき、まさにたったお一人の立場だ。その孤独は想像を絶する。
ご結婚によって伴侶を得られても、「私の立場を尊重しつつ」とあるように、ご夫婦としての側面より、皇后には「象徴」たる天皇をお側近くで支える役割が優先される。ただ「寄り添って」ではない。
しかも「安らぎを覚え」たことではなく、それによって「天皇の役割を果たそうと努力できたこと」が「幸せだった」とおっしゃっている。どこまで無私な方なのか。さらに、“果たせた”ではなく「果たそうと努力できた」という極めて謙虚なご姿勢である。何気ないようで実に深いお言葉だ。
※SAPIO2014年3月号