オリックスと近鉄の合併に端を発した球界再編により、2005年に誕生した『東北楽天ゴールデンイーグルス』。分配ドラフトにより40人の選手が入団、初代監督には田尾安志氏が就任した。
記念すべき開幕カードはロッテ。初戦こそエース・岩隈久志の活躍で球団初勝利を挙げたが、翌日の2試合目は0-26という歴史的大敗を喫する。結局、このシーズンは38勝97敗1分という成績で、1位のソフトバンクに51.5ゲーム差をつけられ最下位。2リーグ制以降の新球団の初年度勝率としてはワースト1位を記録、田尾監督は1年で解任された。田尾氏が語る。
「監督を引き受ける時に、GMのマーティ・キーナートには“僕を地獄に落とす気か”と伝えたのを覚えています。“必ず最下位になるチームだ。今の生活に満足しているのに”ともね。
だから成績についてはこんなもんだと思いましたね。開幕戦で初勝利を挙げたが、ローテーション投手は岩隈だけで、彼で勝つのは当たり前。問題は2戦目からどう勝つかなんです。開幕戦後には、オーナーも来て外野まで歩いてファンに挨拶しましたが、僕は本心から喜べませんでした。
だから0-26の試合についても、結果そのものはあまり考えなかった。この球団は接戦をいくつモノにできるかが勝負で、大量得点差のゲームはいくつかあると思っていましたから。それよりも、あとまだ134試合ある……という気持ちの方が重たかった(苦笑)。
新球団で、フロントが勉強できていなかったというのが最大の問題でした。オーナーには、“外国人の4つの枠だけはしっかりと補強してもらいたい”と伝えていたし、正直、1年目はその方法でしか勝負できないと思っていた。しかし、それがうまく理解してもらえなかったのが、敗因の1つだと思っています。
ただ監督は、持てる戦力で戦わなくてはならない。だから選手を集めて、“起用は好き嫌いや年齢では決めない。結果が出れば必ず使う”と明言して、チームに17人もいる35歳以上のベテラン選手をやる気にさせようと注力しました。
1年目の結果はどうなってもいい、この球団の本当の勝負は、1年目が終わった後のオフ(の戦力補強)だと思っていましたから。それに向けてお願いをしていたんですが、僕のほうが先にユニフォームを脱ぐことになってしまいましたね。
救いは仙台のファンの人が温かく応援してくださったことですね。これがなければ最後まで采配を振るえなかったかもしれない。仙台のファンの方が、球団の真の実力を知っていたのかもしれませんね(笑い)。
当初は6年目から黒字に、という話だったが、ファンの方にたくさん球場に足を運んでもらえて、1年目から黒字になった。それに僕の解任後には反対する署名活動までしてくれた。僕のやり方を理解してくれていたんだと思います。成績は最悪でしたが、野球人生の中では最高の1年でした」
※週刊ポスト2014年2月21日号