一昨年10月、41才で亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さん。死と向き合った、見事な“命の始末”のつけ方が話題となり、感動を集めた。そのメッセージを世の中に送り出した『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館刊)の制作にたずさわったのが妻・稚子(わかこ)さんだ。先日、夫・哲雄さんに稚子さんからのアンサーブック『金子哲雄の妻の生き方』(小学館刊)を上司した。
「金子がどうしても残したいと言っていたこの本の制作は、金子が残してくれた“宿題”の始まりであると同時に、『金子に守られている』と実感できる作業でもありました」と、稚子さんは当時を振り返る。
肺カルチノイドと診断されてから500日間。“いつ死んでもおかしくない日々”だった。
「“死”が訪れることはわかっていても、突然来ると本当に自分の体をもぎ取られるような衝撃で、悲しみが“痛い”と感じる状態でした」(稚子さん、以下「」内同)
そこからどうすれば回復できるかわからないまま、葬儀の3日後から本の編集作業が始まった。
「出版に向けて葛藤もありました。“死”を商売にするのか、私的なことを公開してもいいものだろうか…。ただ、金子自身の強い希望だったこと、きっと金子の治療経過を通して励まされるかたがいらっしゃること、それを信じて決意したのですが、今思えば私自身が救われる作業でもありました。
“悲しみに向き合わない時間”を、時には“悲しみと向き合う力”をくれたんです。未亡人は、1年はあまり人前に出ないで喪に服すべき、といいますが、外に出なければあの状態から脱け出すことができなかったと思います」
本の作業が終わって、家で過ごす日々。朝なのか昼なのかわからずろくに口に物を入れられない状態が続いて、ある日、ヨロヨロと行ったスーパーでたまたまりんごを目にした。皮をむいてしゃりしゃり音をたてて食べながら、体が動き出すのを感じることができたという。悲しみ以外の気持ちを久しぶりに持てた瞬間だった。
「本当に悲しい時、私にとって“希望”という言葉はあまりにも大きすぎて眩しすぎたんです。それよりも、“旬だな”とか“花が咲いた”という小さな小さな楽しみや喜びが、悲しみのすき間を埋めてくれた。そうやって、悲しみ以外の気持ちになれた瞬間を大切にすることで、金子の死を整理して受け止めていけたんだと思います」
※女性セブン2014年2月20日号