浅田真央、23歳。ソチの舞台を「最後の五輪」と公言する。2005年12月、15歳で世界を制するも、「出場すれば金メダル確実」といわれたトリノ五輪に年齢規定に87日足りず出場はできなかった。そしてトリノ五輪直後、浅田は次回バンクーバー五輪の絶対的本命だった。しかし、4年という時間は長い。誰かに追われ、追い抜かれるには十分な長さだ。浅田と同い年のキム・ヨナは、ジュニア時代の前半には大きく浅田の後塵を拝していた。
しかし、キム・ヨナは次第に力をつけ、2010年2月のバンクーバー五輪の前、浅田との直接対決に3連勝するまでに成長した。
折しも、韓国において反日感情が昂ぶりを見せ始めていた。日本でも2002年の日韓ワールドカップ以降、ネットの世界を中心に嫌韓感情が渦巻いた。2009年3月には、「大会のたびに日本の選手に練習を妨害された」とキム・ヨナが発言したと韓国メディアが報じたことから双方の連盟を巻き込んだ騒動が起こる。
日韓のファンがネットの世界で罵倒し合う異常事態は、後にキム・ヨナが「特定の国の選手について言及したわけではない」と釈明して収束した。この騒動がきっかけで、バンクーバー五輪における2人の直接対決は、日韓代理戦争の色合いを帯びて語られるようになる。
五輪出場を巡る騒動に巻き込まれてから4年、またも浅田はスポーツの本質とはまったく関係のない部分で国民からの注目を浴びてしまった。
結果は、キム・ヨナがショート、フリー、そして総合で世界最高得点をマークして金メダルを獲得。対する浅田は、銀メダルに甘んじた。
試合当日、会社を抜け出したサラリーマンたちは日本各地のパブリックビューイングに集い、歓声を送った。しかし敗北が決まった瞬間、民族の自尊心を傷つけられたかのような、ため息が至るところから聞こえた。銀メダルへの祝福など誰も口にしなかった。
そんな国民の落胆が伝わったのか、浅田は滑走直後のインタビューで涙を流しながら、30秒ほど絶句し、こう話した。
「自分の今できることはすべてできたと思うけど……悔しいです」
※週刊ポスト2014年2月28日号