東京都知事選が2月9日に終わった。大雪など悪天候の影響もあったのか、史上三番目に低い投票率だったが、舛添要一氏が新都知事に選出された。1995年の都知事選に立候補し、故・青島幸雄氏に敗れた経験を持つ大前研一氏が、今回の都知事選を振り返った。
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2月9日の東京都知事選挙で舛添要一氏が新しい都知事に選ばれた。新聞やテレビはそれなりに話題づくりをして盛り上げていたが、都政の政策論をこれほど軽視した都知事選というのも、近年稀に見るものだった。にもかかわらず、その点をマスコミはほとんど報じず、多くの都民は「投票したい候補が一人もいない」と完全にしらけていた。
なにしろ、候補者の年齢からしてひどかった。85歳のドクター中松氏を筆頭に、細川護熙氏が76歳、宇都宮健児氏が67歳、舛添要一氏と田母神俊雄氏が65歳。立候補した16人の平均は66.9歳だった。「65歳定年制」時代でも定年退職している年齢であり、れっきとした「高齢者」である。
もしかすると今回の候補者たちは、前々任者の石原慎太郎氏が80歳まで都知事を務め、しかも週2~3日、数時間ずつしか登庁しなかったといった話が報じられたために、都知事はそれでも務まると考えたのかもしれない。
この平成日本の“老害シンドローム”については稿を改めるが、単に年齢の問題だけでなく、結局、都知事として本気で仕事をしたいわけではないから、細川氏のように出馬表明してから慌てて公約を練り直すという本末転倒の候補者も現われてしまったのである。
とにかく一事が万事で、各候補者が掲げた政策自体、実にお粗末だった。そもそも主要4候補者の公約は、どれも似たり寄ったりだった。高福祉で災害に強い安心・安全な街づくり、基本的には脱原発で再生可能エネルギー活用、東京五輪に反対する人はいなくて、ただ費用を抑えるだけ……こんな子供でも考えられるようなことは政策と呼べるものではない。
これらはどういう立場をとれば選挙で有利になるかという計算が先にありきの標語にすぎず、首都再生に向けたいたたまれぬ思いから、東京の問題点を徹底的に考察した上で作り上げた政策ではないのである。かつてそういう思いに突き動かされて1995年の都知事選に52歳の時に出馬し、夢破れた私としては「ふざけるな!」と言いたい。とはいえ70歳を越えた今は、そうしたふざけた連中と一緒になって選挙戦を戦う気にもならない。
※週刊ポスト2014年2月28 日号