今でこそプロ野球のセ・リーグとパ・リーグの人気差は縮まったが、かつては「人気のセ、実力のパ」と囁かれるほど、その人気には差があった。当時のパ・リーグで広報部長を務めていたのが“パンチョ伊東”こと伊東一雄氏だ。スポーツライターの永谷脩氏が、まだパ・リーグが不人気に悩んでいた当時のパンチョ伊東のエピソードを綴る。
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イチロー(当時オリックス)に誘われて、一路真輝が主演した『エリザベート』を、東京宝塚劇場に観に行った時のこと。終演後、場内が明るくなった時、誰かに背中をポンと叩かれた。振り向くと、パ・リーグの広報部長だった伊東一雄が、フジテレビの西山喜久恵アナと一緒に来ていた。
伊東は“パンチョ”の異名を持ち、メジャー通としても知られている。英語は戦後の極東放送を聞きながら独学で覚え、メジャー球団とのパイプも、個人で努力して作り上げていた。
専属の媒体を持たない私が、初めてメジャーの取材に行くことになった時、伊東に相談したことがある。その時はドジャース・ロイヤルズ・ジャイアンツ・タイガースの4球団に紹介状を書いてくれたうえ、「ドジャースのオマリー夫人には香水を持って行け。旦那にはお土産はいいから」などと細かく指示をしてくれた。
紹介状を渡すと、相手の外国人は必ず、「パンチョは元気か。彼はナイスガイで世話になったから」と、私のような若造にもよくしてくれたのを覚えている。その中の1人は後にブリュワーズに移り、メジャーに挑戦した江夏豊を、裏で支えてくれたりもした。メジャーでの信頼も非常に厚い男だった。
さて、伊東の宝塚好きには理由があった。同時期にセ・リーグ広報部長を務めていた八木一郎が、松竹歌劇団(SKD)が好きだったからだ。伊東は「彼がSKDだから、パは宝塚だ」と冗談交じりに語っていたが、当時のパはセに追いつけ追い越せという時代、ここまでライバル視するかと思ったものだった。
※週刊ポスト2014年2月28日号