プロ野球界の生きる伝説、球界史上唯一の400投手である金田正一氏は、中学生の時に野球を始めた。そして1948年5月、金田氏は享栄商に入学。そこで恩師である芝茂夫・野球部監督に出会う。
──あれ? 監督はこの時14歳ですよね。中学卒業は?
金田正一(以下、金田):そんなものワシに必要あるか。本来なら中3になったばかりだが、高校に入学したんだ。
──そんな馬鹿な!
金田:ワシという存在をお前らの常識で考えるな。それだけ金田さんは才能に溢れていたんだよ。入学の手順も踏まずに野球部へ入ったが、当時すでに『名古屋にすごいヤツがいる』というワシの名声は県内に轟いていたからか、芝先生も“黙っていたらバレない”と後押ししてくれた。でも高校入学当時は、野球のルールすら知らんかった。
──ええっ?
金田:野球の正式なルールを知ったのは、高校で野球部に入ってからだ。硬球も野球部入部まで握ったことがなかった。当然、道具も持っていない。グローブは進駐軍のトラックから拝借した。ある時、たまたま野球部が練習するグラウンドに、進駐軍のトラックがあって、その荷台にグローブが置いてあった。しかも“左利き用”だ。これは神様が与えてくれたと思って、黙って持って帰ったんだ。
──投手を始めたのは?
金田:芝先生から、『お前は背が高いから投手に向いとるやろ』といわれたのが理由。これが大投手・金田誕生のきっかけだ。握ったこともなかった硬球は重くて硬く感じたが、投げたらものすごく速い球になる。手が付けられないほどのノーコンだがな。
芝先生は、『強力な足腰のバネが速球とコントロールを決める。人の何十倍も走れ。投手として大成するか否かは走り込みにかかっている』というのが持論だった。だからとにかくワシは走った。この金田正一を作ったのは芝先生であり、今でも足を向けて寝られない存在だ。
※週刊ポスト2014年2月28日号