国民栄誉賞を受賞した長嶋茂雄氏は、記録より記憶に残った選手だったとたびたび言われる。その長嶋氏のプロデビュー戦は1958年4月5日の開幕戦で、結果は4打席連続三振だった。その三振を奪った投手が、当時、国鉄スワローズで大エースとして活躍していた金田正一氏だった。金田氏が長嶋氏の第一印象について振り返る。
──1958年に東京六大学のスター・長嶋茂雄氏がプロデビューしました。
金田正一(以下、金田):初めて会ったのはスポーツ紙の正月用の対談だ。長嶋の印象か? 詰め襟を着て初々しかったが、若い癖にやたらとヒゲの濃い野郎だと思ったね。
キャンプが始まると、マスコミは一斉にワシと長嶋のライバル関係を盛りたてるようになった。しかしそのすべてがワシより長嶋を格上に扱う。とんでもなく失礼な話だよ。プロ9年目で182勝もしているワシとしては、長嶋など眼中にない。8年も後に入った選手だから屁でもなかった。これだけは本当にシャクだった。
──それで絶対に打たせないと。
金田:バカタレ、打たせないんじゃない。打てないんだよ。それに開幕前日にはワシの闘争本能をさらにかき立てる事件が起きたのよ。後楽園球場で練習をしていると、記者たちがスタンドまで来てくれという。スーツ姿の長嶋とのツーショットを撮りたいというので快諾したが、翌日の新聞はその写真とともに、『(金田を打って)ここまで(390フィート=119メートル)飛ばす』という長嶋の宣言が見出しになっていた。
腹の中が煮えくりかえったわい。
──そして4打席連続三振。
金田:実力と実績を持つ人が、マスコミに煽られて100倍トレーニングして100倍節制したのだから当たり前だ。それにワシは翌日もリリーフして長嶋を三振に打ち取った。だから『5連続三振』が正しい。これからの若い選手はこういう正しい歴史を知らなきゃいけません。
※週刊ポスト2014年2月28日号