ソチ五輪のスキージャンプ男子ラージヒルでは銀メダル、そして団体では銅メダルを獲得した“レジェンド”こと葛西紀明(41才)。国民的ヒーローと呼ぶにふさわしい葛西だが、それまでの人生は不運の連続だった。
彼の生まれ故郷は、北海道下川町。人口わずか4000人という小さな町で、持病を持つ父親は働けず、母親の幸子さん(享年46)が旅館や町工場で、朝から晩まで働いて家計を支えた。現在、北海道名寄市で暮らす姉の紀子さん(44才)が、こう明かす。
「小中学校の頃は本当にお金がありませんでした。次の日に食べるお米もないというほどで。母が知人にお金を借りて回ったり、近所にお米を譲ってもらうこともしょっちゅうでしたね…」
葛西にとって、そんな貧しくつらい日々を忘れさせてくれたのが、スキーのジャンプだった。小3でジャンプを始めた彼は、幸子さんが知人から譲り受けた中古のスキー道具を身につけ練習に励むと、メキメキと頭角を現し、中3でジュニア選手権の日本代表に選ばれるほどに成長した。
その後、1992年のアルベールビル五輪で五輪初出場。1994年のリレハンメル五輪でも日本代表に選出される。
だが、このリレハンメル五輪の直前、彼を不幸が襲った。高校に入学したばかりの妹・久美子さん(36才)が病に倒れたのだ。「再生不良性貧血」という原因不明の難病で、死の危険に直面した。
「リレハンメルに旅立つ前、紀明は“金メダルを取って、細かく煎じてのませてやる! そうすれば病気が治るからな!”って、久美子に言い聞かせてましたね…。もちろんそんなことしても治らないのはわかっていますが、昔からかわいがっていた妹だったので“何としても金を取って励ましたい”という気持ちだったんです」(前出・紀子さん)
団体戦に出場した葛西だが、あと一歩のところで銀メダルに終わってしまう。しかし、懸命な兄の姿に勇気づけられたのか、久美子さんは骨髄移植手術を受け、病を克服する。
だが、この後、さらなる悲劇が葛西を襲った。長野五輪を2年後に控えた1996年、最愛の母・幸子さんが火事に巻き込まれ、その時の大やけどが原因で1997年に亡くなったのだ。
「“母さんに長野五輪を見せてあげたかったのに…”って、紀明は憔悴しきってしまい、一時はスキーどころではなくなってしまったんです」(前出・紀子さん)
母の死で精神まで不安定になってしまった葛西は、けがも重なり、長野五輪では団体戦のメンバーから外れてしまう。原田雅彦(45才)や船木和喜(38才)らの日本チームが4年前のリベンジを果たし、団体金メダルに輝く中、葛西は失意の日々を送っていた。
悲運の人生を歩み続けた葛西。しかし、家族や、共に競技に励む仲間たちの支えもあり、“レジェンド”となっていくのだった。
※女性セブン2014年3月6日号