今も400勝投手として生きる伝説となっている金田正一氏が、エースとして活躍していた国鉄スワローズから読売巨人軍へ移籍することが決まった時、大騒動となった。鈴木竜二セ・リーグ会長が『国鉄対巨人戦が関心を集めるのは金田がいるから。看板選手が簡単に動いてはいけない』という異例の談話を出したほどの騒動を金田氏がみずから振り返り、時代に先駆けてプロアスリートとしてこだわった「食」について語った。
──移籍に後悔はなかった?
金田正一(以下、金田):あるわけがない。ただ批判記事はたくさん書かれたから、文句をいわれないよう、キャンプではとことん身体を鍛えた。そんなワシに影響され、王や長嶋までもが猛練習をするようになった。マスコミも現金なもので、キャンプが始まるとONKのスリーショットで一面をしっかり作っていたよ。
──国鉄と巨人では、やはり勝手が違いましたか。
金田:大きかったのはキャンプの過ごし方だな。国鉄時代はキャンプで一軒家を借りていたが、巨人では許されなかった。
──キャンプで一軒家?
金田:専用のお手伝いさんも雇っていたぞ。巨人ではそれらがNGだったかわりに、部屋で特別メニューの夕食を食べる許可を川上(哲治)監督からもらっていた。
──噂に聞く『金田鍋』ですね。どんな中身だったんですか。
金田:日によって色々だが、自慢にしていた1つは『参鶏湯』(サムゲタン)だ。鶏肉の中にもち米、高麗人参、栗、ナツメ、ニンニクなどを詰め込んで煮込む。ONはもちろん、噂を聞きつけた選手たちが鍋をつつきに来ていたな。
──食費代は自腹ですか?
金田:当たり前だ。ワシはキャンプでは、朝起きると散歩がてらに市場まで歩き、肉や魚、野菜など、その日の最高級の食材を買い出し、板前さんに渡して練習に向かうのが日課だったんだ。
食には本当にこだわった。大卒の初任給が2万円の時代に、1日1万円以上の食費を使っていたからな。水だって、1951年から1本500円もしたミネラルウォーターを飲んでいた。あの時代、水を買って飲むという発想はなかったよ。
最近の選手はタダ飯は食うが、カネを出して考えて食うやつがいない。食わされるものと自分で考えて食うものは違うんだ。食に加えて、布団や枕も東京から送るなど、体のケアには本当に努力した。だから400勝できたんだ。
※週刊ポスト2014年2月28日号