『丸允酒店(まるよし)』の大将、渡辺允介(よしすけ)さん(71)は、店に集まってくるいつもの仲間とともに角打ちをすることも珍しくない。そして興が乗ってくると、若かりし頃の大冒険物語を壮大なスケールで語りだす。
「ハタチの頃から遠洋漁業のトロール船に乗って、世界の海を駆け巡っていたんだよ。ベーリング海、南氷洋、大西洋…、荒れる海の恐ろしさなんてわからんだろうなあ。補給で立ち寄った世界の街々は、いろいろ面白かったよ」
そんな大将は、32歳で陸に上がった。親類から酒屋の後継を頼まれたのだ。
「正式に引き受けたのは、昭和52年だったと思う。国鉄の鹿児島本線も走っているし、鋳物工場も多かったので、そこで働いている人に来てもらおうと、角打ちをメインにした店にしたんですよ。思った以上に大勢きてくれて、当たりましてね」
それから30年あまりたった今、周囲にあった工場などは姿を消していった。しかし、角打ちファンからの支持は相変わらず根強く、
「サラリーマンやエンジニアを中心に、やさしくて男気のある博多っ子、小倉っ子が集まるようになった」(渡辺さん)
カウンターを中心に、20人は十分に飲める広さの角打ちスペースは、そんな常連で今夜もそれはそれは賑やかだ。
「ぼくは小倉。ここでの角打ち歴は20年になるかな。大将がいい味だし、お酒が目立つ、人が目立つ、そんな店だから気に入ってるんですよ。」(65歳、建築設計事務所)
「地元だから何年通ってるなんて考えたこともないなあ。私の出す年賀状の添え書きは、毎年“今年もおいしい酒を楽しく飲みましょう”なんですよ。それを読むとみんなは条件反射で、ここで飲みたくなるって言うよ」(60代。自称、丸允顧問)