安倍晋三首相が衆院予算委員会で憲法解釈を巡って「最高責任者は私だ」と述べた発言が波紋を呼んでいる。東京新聞や朝日新聞は「首相が立憲主義や法の支配を否定している」といった調子で報じた。本当にそうか。
首相の答弁はこうだった。「(政府の)最高責任者は私だ。政府答弁に私が責任をもって、そのうえで私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」
いったい、この発言のどこに問題があるのか。私にはさっぱり理解できない。
内閣法制局がどういう組織かといえば、内閣に直属して法律問題について内閣総理大臣や各省大臣に意見を述べる役割を担っている。
法制局は「法の番人」とも呼ばれるが、それはあくまで政府内の話にすぎない。最終的に合憲か違憲かを判断するのは、もちろん最高裁判所である(憲法第81条)。
では、政府内の憲法判断で最終責任を負っているのはだれか。国民が選挙を通じて間接的に選んだ内閣総理大臣に決まっている。官僚である内閣法制局長官ではない。長官は総理の部下なのだ。
もしも、内閣法制局長官が首相や最高裁よりエラかったら大変だ。官僚が「日本で一番エライ」という話になってしまう。
それにしても、いい加減なのは民主党だ。枝野幸男元官房長官は安倍発言について「国辱的な発言だ」と口を極めてののしった。
自分たちの民主党政権では、最初の鳩山由紀夫内閣から内閣法制局長官に憲法解釈の答弁をさせなかったのを忘れたのだろうか。それどころか枝野自身が行政刷新相と憲法を含む法令解釈担当を兼務していたではないか。
自分が大臣のときには憲法解釈は自分の仕事として国会で答弁していたのに、野党になったら首相が答弁するのは「国辱的」という。まったくデタラメである。
民主党は内閣法制局という官僚の権威に名を借りて、安倍政権を攻めたつもりになっているのかもしれないが、それはすなわち「官僚主導を是認する」という話にほかならない。本来なら、真正面から政治家同士の論戦を挑むべきではないか。
それから一部のマスコミである。内閣法制局をことさらに持ち上げるのは結果的に官僚を喜ばせるだけだ。
官僚たちは「この国を動かしているのはオレたちだ」と本音で思っている。だから「内閣法制局が法の番人」などという勘違いが広まるのは内心、大歓迎である。勘違いが広まれば広まるほど、自分たちの権威が増すからだ。
政権批判は結構だが、集団的自衛権の見直しに反対するあまり、勢い余って官僚主導を応援するのは、自分たちが「官僚のポチ」と白状しているようなものだ。
(文中敬称略)
文■長谷川幸洋:東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。政府の規制改革会議委員。近著に『2020年新聞は生き残れるか』(講談社)。
※週刊ポスト2014年3月7日号