国民のために祈り続ける天皇陛下。それを支える皇族方。そのお言葉には深い意味が込められている。神道学者・高森明勅氏がそれらのお言葉に込められた意味を読み解く。
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皇后陛下は以前、北朝鮮による日本人拉致という国家的犯罪について、率直にご自身の「無念さ」を語られている。
「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったかとの思いを消すことができません。
今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います」(平成14年のお誕生日に際しての文書回答)
このご発言は沈痛な自責の念のご表明であると同時に、政治に携わる者らの長年にわたる無為怠慢への激しいご叱責でもあろう。
しかも拉致被害者ら5名の方々が帰国した時、国内は彼らの救出を喜ぶばかりで、“帰れなかった人々の家族の気持ち”に皇后陛下ほど深切に思いを馳せた国民がどのくらいいただろうか。
皇后陛下はさらに、昨年のお誕生日の文書によるご回答では憲法論議にまで言及された。
「5月の憲法記念日をはさみ、今年(筆者註・平成25年)は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。
(中略)当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」
憲法を取り上げつつも政治的発言に陥るのを避け、それでいてややもすれば立憲主義を軽んじるような傾向すら見られる昨今の憲法論議にも、有益な示唆を与える絶妙なご発言だろう。
五日市憲法(正しくは日本帝国憲法)は地元の小学校教師を中心に起草された最も民衆的な憲法として有名だ。
ただしその内容は、冒頭に「神武帝の正統」である今上天皇の統治を明記し、議会は「民撰議院」と「国帝」によって任命された「元老院」の二院制。だから左系の学者にはもう一つ評判がよくない。この民間憲法案のサンプルの取り上げ方もバランス感覚に富む。
※SAPIO2014年3月号