東日本大震災で大きな被害に見舞われた宮城県南三陸町のラジオ局に密着したドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』について、朝日新聞が“やらせ”を指摘。同紙は、監督との一問一答を掲載したが、これに対しネットユーザーから、監督の姿勢を批判する声があがっている。
『ガレキとラジオ』は、震災直後に開局した臨時災害ラジオ局のスタッフと、被災者であるリスナーの姿を描いたドキュメンタリー映画。大手広告代理店の博報堂が制作したこの映画は、2012年に公開され、
「目がはれるくらい泣かせていただきました」
「南三陸町のために来て制作してくれたスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです」
「人の力、町の力、みんなの力、ラジオの力、映画の力に感動!」
(HPに寄せられた感想)
と、非常に高く評価されていた。
しかし3月5日の朝日新聞によれば、同作には
・出演者の女性は普段ラジオを聞いていない
・女性が住む仮設には災害ラジオの電波は届かない
・そのため女性は、撮影班が用意したラジカセでCDを聞き、ラジオを聞くフリ
・「いつも聴いている」「音がないと寂しい」などセリフを指示された
など複数のやらせがあり、監督は、
朝日 「分かりやすい被災者像を描きだそうとしたのでは?」
監督 「そうですね。はい」
朝日 「であれば、なおさら、ドキュメンタリーとしてやってはいけないんじゃないかなと」
監督 「なるほど。うーん」
監督 「どこまでが演出かというのは難しいですよ」(一部抜粋)
などと回答。一連のやりとりを読んだツイッターユーザーからは、
「何が問題なのか?理解してない事がよくわかる受け答え」
「この監督はドキュメンタリーではあってはならないと言うかやってはけない事をいまいち理解していないんじゃないかな?」
「この監督という人は『ドキュメンタリー』と『フィクション』の違いが分かっていない印象」
「何を開き直ってるの」
といった声があがっている。
この件について出演者の女性は、制作者の求めに応じて演技をしてしまったことに罪悪感を抱いており、同作でナレーションを務めた俳優の役所広司は、「今後2度と上映されるべきものではありません」とのコメントを発表している。監督の「ドキュメンタリーとフィクション」の解釈が正しい否かはさておき、震災から3年を迎える今になり、いかにも後味の悪い作品になってしまったことだけは間違いないようだ。