【書評】『とらわれた二人 無実の囚人と謝った目撃証人の物語』J・トンプソン・カニーノ、R・コットン、E・トーニオ/指宿信、岩川直子訳/岩波書店/2940円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
裁判は、真実を明らかにし、正義を追求する制度だが、同時にゲームの要素が色濃く反映する仕組みでもある。検察官が取捨選択した証拠類によって、あるいは弁護士の法廷テクニックの技量によって、まずは審理のゆくえが大きく左右される。そして、裁判官の先入観や偏見に効果的に働きかけた側に軍配があがるものだからだ。
本書は、司法のメカニズムに人生を翻弄された二人の物語である。ひとりは、レイプ被害者の白人女性ジェニファーであり、もうひとりは、彼女の「犯人識別供述、いわゆる目撃証言の誤り」によって、「終身刑プラス五十年の判決」を受けた黒人男性のロナルド。ジェニファーの法廷での確信に満ちた証言が、「指紋も何もない。服もないし、この男性と事件を結びつけるものはない」にもかかわらず、彼を犯人に仕立て上げることに。
だが11年後、DNA鑑定が、ジェニファーの証言の誤りを明らかにし、ロナルドの無実を証明した時、彼女は恐怖におののいた。「私が彼から奪い取ったもののために、彼が私に死を望んだとしても当たり前ではないだろうか」──。
誤った証言は、法律用語に言うところの「無意識の転移」によるものだった。容疑者の顔を「面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像に取って代わっていくことを意味した」。確信が不条理に逆襲された時、人はどんな行動を取りうるものなのか。
ジェニファーは、「恥と恐れと怒り」をかかえながらも、現実と向き合うことを選び、ロナルドもまた、「ゆるしとは力」であることを示した。ここから、二人のあらたな物語がはじまっていく。
洋の東西を問わず、司法制度は、教科書に書かれているほど正義を実践できないものだ。被害者の不屈の意志と思いやりこそが、制度の欠陥をただし、病んだ社会に希望をもたらすということを、思い起こさせてくれる。
※週刊ポスト2014年3月14日号