ソチ五輪で世界中を感動させる最高の演技を見せた浅田真央(23才)。2011年12月、彼女を支え続けた母・匡子(きょうこ)さんは肝硬変でこの世を去ってしまう。その後は父(55才)が替わって彼女を支えようとするも、妻に任せきりで、フィギュアの世界はほとんどわからない。娘と密にかかわることも難しい。真央の父はシングルファーザーとしてどうすればよいのかわからずにいた。しかし、悲嘆に暮れてばかりはいられない。
「娘の夢を叶えなければ」
それは妻の遺志。父はひとつひとつやれることから取り組むことを決めた。レッスンを受けるコーチの関係で、名古屋と横浜を毎週のように往復していた真央。それまでは新幹線を利用していたが、往復8時間かけて車での送り迎えをかって出た。
「荷物が多いのはもちろんですが、家から横浜のリンクまで車で行けば、車中は人目も気にせずゆっくり休めますから」(スケート関係者)
真央が試合から帰ってきたらすぐに、シューズのエッジを研いでもらうために、スケート靴を修理に出す。
ジャンプがうまくいかず、涙ながらに練習する真央と「それ以上やったって意味がない」と諭す舞は、大声をはりあげてけんかすることが何度もあった。そんな時は父が「おいっ、もうその辺で」と言葉少なに仲裁に入る。
食事はいつもひとりのことが多く、レトルト食品やカップ麺がほとんど。自宅近くの小さな中華料理店でひとり担々麺をすする姿もしばしば目撃されている。
そうして人知れず真央を3年間、縁の下で支え続けた父。真央の集大成となったソチ五輪も、日本で見守った。
「これ以上、真央ちゃんに気負わせたくなかったんでしょうね。それに奥さんと一緒に自宅で見守りたいという思いもあったんでしょう。五輪が終わった後、お父さんに会ったんですが、喜びよりも“ホッとした”と言ってましたよ。でも、すごく嬉しそうな表情でした」(浅田家を知る人)
※女性セブン2014年3月20日号