東京電力福島第一原発事故によって、今なお故郷を追われている人の数は8万900人あまり。原発20km圏にある9市町村と、原発から北西にかけての放射線量が高い地域に住んでいた人たちがそれにあたる。
東京・東雲住宅には現在、そうした福島県から避難している人を中心に、1100人ほどの避難者が暮らしている。佐藤芳子さん(69才)は、諦めたように小さくため息をつく。
「私ら、すぐに家に帰れると思っていましたから…。津波が来たから逃げなさいと言われて高台に逃げて、本当は次の日には自宅に帰って後片付けをしようと思っていたら、原発が爆発して、そのまま家に帰れなくなってしまった。だから、ほとんどの人が身ひとつで出てきてしまっているんですよ」
佐藤さんの自宅は、南相馬市小高区にある。避難指示解除準備区域に指定されている地域だ。国は避難指示を出している区域を放射線量に応じて、年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実だと確認され、解除準備を進めている「避難指示解除準備区域」、宿泊ができない「居住制限区域」、立ち入ることすらできない「帰還困難区域」の3つに分け、帰還作業を順次進めている。
「町の方針で、再来年の3月に帰還する予定になっているんですが、家はずっと閉めっぱなしだから湿気がひどい。この間、娘が戻ったら、家中のあちこちにカビが生えていたと聞きました。やっぱり家というのは、人間が住んで、風を入れて生活しないとダメになっちゃうのね…」
それは、2011年3月11日午後2時46分に襲った東日本大震災以前は、新しい築5年の家だった。終の住み処と考えていた家はしかし、それから3年を迎えようとする今、まだ築10年に満たない家には見えない。
やはり南相馬市小高区から家族4人で避難している、三澤宏造さん(71才)も嘆く。
「この間、家を見に行ったら、もうねずみがあちこちで糞尿をしているし、猪と豚が交配したイノブタだと思うんですが、ガラスを割って踏み荒らしているし…。あと、泥棒が入った形跡もありました。もうグチャグチャ。もうあんな家には住めません」
かといって、今住んでいる東雲住宅にずっと住めるかといえば、それもわからない。
東雲住宅は、避難生活を続ける人のために東京都が借り上げたもので、避難者は無料で住むことができる。しかし、いつまでも約束されたものではない。この避難所は仮設住宅と同じ扱いになっているからだ。
住めるのは、最初の2年間。その後は特別措置として、1年ずつ入居期間を延長していく。今決まっているのは、ここには来年の3月まで暮らせるということだけ。逆に言えば、来年3月にここを出て行ってくださいと通達される可能性もあるということだ。
「若い人たちはいいかもしれませんが、私らは…」(佐藤さん)
将来への不安は尽きない。
※女性セブン2014年3月20日号