東日本大震災から3年。未曾有の災害を経験した人たちは現在どんな日々を送っているのか。
メロディーに合わせて両手をゆったりと動かしながら踊りが始まる。平均年齢71才の“若々しい”踊り手たちは常に微笑みを絶やさず、「ハイナホー!」というかけ声が室内に響きわたる。
2月28日、釜石市立双葉小学校内の地域交流センターで開かれたフラダンス教室「プルメリア・サコ」。主宰者の菊地房子さん(65才)はレッスン中、万感の表情で「もう3年ね」とつぶやいた。
あの日、毎週金曜日のレッスンを終えて帰宅する途中、地震と津波に襲われ、50代の女性の生徒が犠牲になった。
「ほんの数時間前まで一緒に踊っていたのに…」
と菊地さんは絶句した。釜石以外にも遠野市、大槌町などの教室の生徒計5人が死亡・行方不明に。立ち上がる気力すら失った。
そんな菊地さんにフラ教室再開を決意させたのは、「また、フラをやりましょうよ」という生徒たちの声だった。そんな生徒のひとり、阿倍律子さん(60才)が言う。
「当時は町が瓦礫だらけになり、誰も立ち上がれませんでした。どん底のなかで、『震災以前の生活を見つけたい』という思いが強まった。その糸口となるのは、私たちにはフラしかなかったんです」
2011年7月に再開した教室には、津波で44才の息子を失った山崎よねさん(71才)の姿があった。
「息子も家も全部失い、当初はフラの再開など全然考えられませんでした。でも、みんなに何度も励まされ、“何かやらないと何も変わらないな”と思い、またフラを踊ることにしました」(山崎さん)
メンバーは今も仮設住宅などで慰問フラを披露する。フラでは通常、既婚者は左耳の上に花をつけるが、「プルメリア・サコ」のメンバーは、“未婚”を表す右耳の上に花をつけて踊る。
「ここで踊るときはみんな独身に戻るの(笑い)。年齢的にフラの真っ赤な衣装は恥ずかしいけど、ここではみんな独身だから。練習だけじゃなく、慰問や発表会できれいにお化粧して、自分たちが楽しむことが、元気のもとになる。仲間と笑い話をしたり、おいしいものを食べたりするのが、元気を取り戻すいちばんの薬なんです」(菊地さん)
あれから3年――。
「亡くなった生徒さんもあの世で一緒に踊っているんじゃないかな」(菊地さん)
と思いを馳せながら、先生と7人の生徒は今日も被災地でフラを踊る。
※女性セブン2014年3月20日号