被災地の再建が遅れることで、海外からの支援の動きも頓挫している。岩手県陸前高田市では震災で家族を亡くした住民を中心に「再び津波に襲われた際に避難の目印となるよう、高台へ続く道沿いにハナミズキを植えたい」と掲げる活動がある。その地道な取り組みに賛同したアメリカ政府が支援に動いたが、暗礁に乗り上げている。
* * *
アメリカ大使館広報・文化交流部の担当者は次のように語る。
「私どもとしては陸前高田にぜひハナミズキの植樹を行ないたいと思っていました。できることなら今すぐにでも植えにいきたいのですが、残念でなりません」
アメリカ政府が支援しようとしたのは、震災で長男を亡くした淺沼ミキ子さん(50)が中心になって進める『陸前高田「ハナミズキのみち」の会』の活動だ。
陸前高田市は市街地のほぼ全域が津波に呑み込まれた。再建にあたって市中心部から高台へと続く2kmあるシンボルロード(裏田中和野線)沿いに街路樹としてハナミズキを植えることが同会の目標である。淺沼さんが語る。
「残された私達にできることは、津波の恐ろしさを後世に伝え、二度と同じ悲劇を繰り返さないことです。『ハナミズキのみち』があれば震災の記憶を風化させず、高台へ避難することの重要性も語り継がれていくと考えました。地域の皆さんと一緒に署名活動などを行なっています」
その活動に着目したのがアメリカ大使館だった。
1912年に当時の尾崎行雄・東京市長がワシントンに3000本の桜の木を贈ってから100周年となるのを記念し、アメリカ政府は日米交流財団と共同で「友好の木─ハナミズキ・イニシアチブ」というプロジェクトを立ち上げた。日本全国に3000本のハナミズキが寄贈されることとなった。
「被災地を支援したいという思いからです。2012年11月に植樹を始め、これまで22か所に830本を植樹してきました」(アメリカ大使館広報・文化交流部)
しかし肝心の被災地への植樹はなかなか進まず、岩手県の釜石に22本、宮城県南三陸町に40本が贈呈されたに留まる。陸前高田市には1本も贈られていない。
「関係者から紹介があり、淺沼さんの活動は承知しています。陸前高田に贈ることも検討したのですが、2015年というプロジェクトの期限までに植樹できる状況になりそうにないので見送ることになってしまいました。プロジェクトは期限を区切って多くの企業から資金協力を得ているため延長は難しい」(同前)
※SAPIO2014年4月号