まだまだ肌寒い3月10日の昼下がり、東京・四谷の学習院初等科に、久々に夫婦揃って姿を見せられた皇太子ご夫妻。この日、初等科では愛子さまの小学校生活最後となる授業参観が行われた。
「保護者は午後の5、6時限目の授業を見学しました。この日は2時限とも音楽の授業で、卒業式の後に行われる謝恩会と3月11日の『6年生を送る会』で披露する歌の練習という内容でしたが、“さすがは6年生”といった感じで、みんな息ピッタリだったようで、皇太子ご夫妻も目を細められていたそうです」(学習院関係者)
卒業式は3月18日に行われる予定だが、雅子さまと愛子さまにとっての6年間は、簡単な時間ではなかった──。
2年生も終わりに近づいた2010年3月上旬──愛子さまが突如、学校を休まれるようになる。当時の野村一成東宮大夫はその理由について、こう語った。
「(愛子さまと)同じ学年の別の組に乱暴なことをする児童たちがおりまして、宮さまを含め他の児童に乱暴をしていることが理由と判明いたしました」
問題発覚から6日後、ようやく愛子さまは登校されたが、その傍らには雅子さまの姿が――。これが1年9か月に及ぶ“同伴登校”の始まりだった。
「雅子さまは学校側の対応に不信感を抱かれていました。ですから、雅子さまは“もう学校には任せられない”と毎日、愛子さまに付き添われ、さらに教室の後ろで授業を見守られました」(宮内庁関係者)
愛子さまを心配される雅子さまの親心だったが、これが思わぬ事態を招くことになる。
「多くの保護者たちから、“雅子さまが毎日、教室に顔を出されたりしたら、子供たちが緊張して授業に集中できない”なんて不満の声があがるようになりました」(ある保護者)
こうして雅子さまと保護者たちの間に微妙な距離が生まれていく。4月を迎え、3年生へと進級された愛子さま。新学期を迎え、通常登校への期待が高まったが、保護者たちの反発をよそに、雅子さまの“同伴登校”は続いた。
始業式の日には、雅子さまとともに定刻より遅れて登校された愛子さまは、始業式が行われている正堂(講堂)ではなく、直接、教室へと向かわれたのだった。
「全校児童が集まる行事ですから“いじめっ子”とされる男子児童もいます。“また何かされたら…”と不安を覚えて避けられたのです」(前出・宮内庁関係者)
これ以降、しばらくの間、児童が一堂に会する行事に愛子さまが出席されることはなくなった…。実際、5月の新宿御苑での写生会や埼玉・長瀞への1泊2日の校外学習も愛子さまは風邪を理由に欠席されている。
その後、愛子さまの登校状態は少しずつ上向いていく。そして2011年3月11日、東日本大震災が起こったこの日、大きな転機を迎える。地震発生前、初等科では正堂で『6年生を送る会』が行われ、愛子さまも出席された。
「愛子さまが、児童が一堂に会する行事に出席されたのは、いじめ問題が起こってから初めてのことでした。徐々にですが、自信をつけられているんだなと感じました」(前出・学習院関係者)
それから1か月後、4年生の始業式にも愛子さまは出席されたのだった。
※女性セブン2014年3月27日号